20201123 総本山は儀式も菓子も

【東海道: 戸塚宿~藤沢宿~茅ヶ崎】

朝はホテルのなんてことはないバイキング.トングを共有させないためであろう,少量ずつ小分けしたものがマグカップに入れて並べられていた.

朝食ののち出発.脚はまだ痛い.

まずはこの辺りの総鎮守である冨塚八幡宮を奉じた.階段の上に本殿と拝殿のある,立派な神社だ.参拝の後,普通の住居のような社務所に寄ると,玄関にお供えと思しき一升瓶や果物が無造作に積まれている.


奥から出てきた丸顔の若い女性は,スウェットの上下を着て,至極普通のご家庭を訪問した感じ.


御朱印を頼むと,彼女は慣れた調子で「どちらに書きましょうか?」と聞いた.

横浜は手書き率が高く,嬉しい.


待っている間ぼんやりとお守りとお神札が入ったショーケースを眺めた.埃の積もったガラス戸の中には,お守りは一種類一つずつしか置いてない.頼まれれば奥から綺麗なものを出してくれるのだろう.何だか微笑ましい.


奥の方から,声高な年配の女性の声が聞こえてくる.先程の女性の母親か.

「野球終わって来たんだけどその子たちが全然食べなくてさ.あっ,ジュースは飲んだねぇ」

相手の声が聞こえてこないので,電話なのかも知れない.


時刻は正午.気温は 19 度.カッターシャツに綿のコートを着ているだけなのに汗ばんでくる.ひと月前より寒くなった気がしない.


藤沢市に入ったところで遊行寺なる寺に寄る.踊念仏で有名な,一遍上人の時宗総本山.宝物館や茶屋まである立派な寺である.行った時は歳末別時念仏会という法要で,本殿の中では儀式が行われていた.これは毎年11月18日~28日に行われているそうだ.行きあたったのは幸運である.

見ていると,若い坊さんが三宝を運んできて床に置いたのだが,不安そうに居並ぶ坊さんたちに目をやると,誰かが目配せしたのだろう,慌てて三宝に向かって礼をして去っていった.


別時念仏会の後半,「御滅灯 (おめっとう)」(一ツ火)と言われる儀式があるそうだ.光を全て消した中で念仏を唱え,再度火を灯すことにより,仏や如来の光明を示すというものだ.


御朱印は置き書きで,「南無阿弥陀仏」「弁財天」「地蔵菩薩」の三種類.


茶屋の横にある売店では,菓子とおこわを売っている.

目についたのは「一つ火 (こし餡を包んだものにバニラエッセンスを加えて卵を塗ったもの)」と「栗の里 (白餡でこし餡を包んだ栗饅頭)」の二品.前者は 70 年以上前からあり,今回の法要を象徴する菓子.後者は 50 年以上前から.賞味期限はそれぞれ 3 日と 10 日なので,土産として使える.全国菓子大博覧会にて前者が金賞,後者が会長賞を受賞.


寺でだいぶ時間を使ってしまったので,終わった頃には 14:30 を過ぎ,その後昼を食う店を探すのに難儀した.藤沢本町駅前でチェーンの中華屋 Toshu に収まったのは 15:00 になろうかという頃だった.


本当はかつて藤沢名物であったサザエを食べたかったのだが,時間が適切でも,こんにちサザエを食べさせてくれる店はほとんどない.


飯屋を出た頃,風は涼しく,空は薄暗くなりかけていた.即ち夕方.今日は何時くらいまで歩こうか,と思案しながら道を進んだ.次の平塚宿まで約 13 km. 僕の足だと三時間というところか.うーむ.

旅を楽しむという基本方針に則り,無理をしない方針で合点.


途中,面白かったのはおしゃれ地蔵菩薩.名前も面白かったが,女性の祈りなら何でも聞いてくれ,願いが叶った暁には白粉を塗るのだという習慣も興味深い.確かに地蔵の顔は白く,口紅も引かれ,何だか艶かしかった.

あとは熊野神社にも寄った.神社にも関わらず朱の鐘楼が印象的であった.この神社は本殿の欄干や狛犬の口も赤く染まり,アクセントが際立っている.

そしてここで,靴の踵のゴムが剥がれてきた.いい加減この靴も寿命だなぁ…….


結局,藤沢と平塚の中間地点にある茅ヶ崎で終了することにした.

茅ヶ崎の駅前近くには,その名も「一里塚」という地名があり,現在も南塚が残っている.一里塚「跡」ではない本物の一里塚.旅の終わりに相応しい.日本橋から 14 里目 (約 55 km).京都までおよそ 1 割進んだ.

ただ,Apple watch によれば,今回は約 40 km. 前回が 45 km 歩いたことになっている.随分寄り道をしている模様.


それから茅ヶ崎駅近くのどうということはない居酒屋で一杯ひっかけて家路に着いた.今日はよく眠れそうだ.


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