20130914 百万石の威力にひれ伏す
【金沢】
加賀百万石は外様最大の石高であった.一石はおよそ成人一人が一年に食べる米の量 (1000合) である.
現在の石川県の人口が116 万人だと知ると,足りないように思うが,享保6 (1721) 年が20万6933人,明治5 (1872) 年が40万3357人という人口を考えると,やはりかなり豊かな藩と言えるだろう.
調べてみると,文久3 (1863) 年のデータで120万石.100 万石より少し多い.
寛永16年(1639年)に加賀藩第2代藩主前田利常が隠居する際,次男の前田利次に10 万石を分知し越中富山藩を立藩,三男の前田利治に7万石を分知して大聖寺藩を立藩したそうであるから,当初はもっと大きかったということか.
前田利常が,徳川秀忠の娘・珠姫を妻に迎えたことが,外様でありながら前田家が繁栄していた理由であると,富山出身の友人は言う.
それはさておき.
午前四時まで寝ていたため,本日の目覚めは大変歯切れの悪いものであった.
しかし折角の旅先,布団の中で一日を過ごすという魅惑的な案は取り敢えず却下した.
レイトチェックアウトであったため,昼ごろにもそもそと布団から這い出て,T 氏に教わった麩料理の店に向かった.
途中金沢駅に寄った.左側は鼓をイメージした「鼓門」.右側のガラスのドーム「もてなしドーム」は金沢を訪れる旅人に差し掛ける雨傘をイメージしているとのこと.
現在の石川県の人口が116 万人だと知ると,足りないように思うが,享保6 (1721) 年が20万6933人,明治5 (1872) 年が40万3357人という人口を考えると,やはりかなり豊かな藩と言えるだろう.
調べてみると,文久3 (1863) 年のデータで120万石.100 万石より少し多い.
寛永16年(1639年)に加賀藩第2代藩主前田利常が隠居する際,次男の前田利次に10 万石を分知し越中富山藩を立藩,三男の前田利治に7万石を分知して大聖寺藩を立藩したそうであるから,当初はもっと大きかったということか.
前田利常が,徳川秀忠の娘・珠姫を妻に迎えたことが,外様でありながら前田家が繁栄していた理由であると,富山出身の友人は言う.
それはさておき.
午前四時まで寝ていたため,本日の目覚めは大変歯切れの悪いものであった.
しかし折角の旅先,布団の中で一日を過ごすという魅惑的な案は取り敢えず却下した.
レイトチェックアウトであったため,昼ごろにもそもそと布団から這い出て,T 氏に教わった麩料理の店に向かった.
途中金沢駅に寄った.左側は鼓をイメージした「鼓門」.右側のガラスのドーム「もてなしドーム」は金沢を訪れる旅人に差し掛ける雨傘をイメージしているとのこと.

麩料理「宮田・鈴庵」は,ウルトラマリンブルーの内装も美しく,先付から生麩菓子まで全て麩を使った献立は,麩が嫌いでなければ,オススメの店である.麩が好きでも,しばらくは,麩を食べなくてもいいと思うぐらいに満喫できる.
鈴庵で T 氏らと再開.
すぐ近くにある,これも T 氏お薦め,あめの俵屋本店へ.米と麦芽で作られた,黄金色の水飴は,香ばしいコクがあり,なんだか懐かしい.
天保元 (1839) 年の創業以来かどうか定かではないが,趣のある店舗だけでも一見の価値がある.
すぐ近くにある,これも T 氏お薦め,あめの俵屋本店へ.米と麦芽で作られた,黄金色の水飴は,香ばしいコクがあり,なんだか懐かしい.
天保元 (1839) 年の創業以来かどうか定かではないが,趣のある店舗だけでも一見の価値がある.
水路の多さは,金沢の美しさと豊かさを象徴するように思う.俵屋本店のすぐ近くを流れる犀川は,室生犀星の名前の由来でもある.ちなみに犀星と徳田秋聲,泉鏡花の三人で,金沢を代表する三文豪とされている.
その三文豪の名前が付いたレトロな観光バスに乗り,ひがし茶屋街へ.
その三文豪の名前が付いたレトロな観光バスに乗り,ひがし茶屋街へ.

金沢にはひがし茶屋街とにし茶屋街,主計町 (かずえまち) と,三つの茶屋街があるが,なかでも国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されているひがし茶屋街は規模が大きい.
僕が訪れた時は,ちょうど結婚式を行っていたようで,華やいでいた.
僕が訪れた時は,ちょうど結婚式を行っていたようで,華やいでいた.

ひがし茶屋の中で,茶屋の内部を見学出来る場所は,志摩,懐華樓,お茶屋文化館 (旧中や) の三つがある.懐華樓は,今でも座敷を上げることが出来るそうだが,野暮を晒さぬため粋にならねば.
今回は志摩を訪れた.大戸を入ると,玄関は大きな吹きぬけとなっている.加賀藩では二階に座敷を持つような建築は茶屋のみに許されたものだという (それ以外の建築では,二階が天井の低い土間となっているそうである.そのうちきちんと確認したい).
今回は志摩を訪れた.大戸を入ると,玄関は大きな吹きぬけとなっている.加賀藩では二階に座敷を持つような建築は茶屋のみに許されたものだという (それ以外の建築では,二階が天井の低い土間となっているそうである.そのうちきちんと確認したい).
前座敷とひろまは紅殻の壁が艶めかしい.白木造りのはなれ以外は,柱などの木は全て漆塗りの豪奢なものである.
はなれは,静かに音楽のみ楽しんだりする場所であるため,数寄屋風のしっとりした空間なのだと言う.
はなれは,静かに音楽のみ楽しんだりする場所であるため,数寄屋風のしっとりした空間なのだと言う.

襖の引手には七宝焼き.意趣を凝らした細部が琴線に触れる.
志摩を後にして,同じくひがし茶屋街の中にある,茶房一笑へ.
恥ずかしながら,金沢に来るまで金沢の俳人,小杉一笑という人を知らなかった.
しかし松尾芭蕉がその死を悼んで詠んだ句は聞いたことがある.
塚も動け 我が泣く声は 秋の風
茶商を生業とした一笑の名を抱いた茶房では,金沢棒茶と菓子を頂いた.露に濡れる秋の花の様な菓子が何をモチーフとしているのか,聞きそびれてしまった.
なお,棒茶は,葉ではなく茎で淹れるから棒茶というらしい.
粉引の急須が楚々とした風情を醸す.
志摩を後にして,同じくひがし茶屋街の中にある,茶房一笑へ.
恥ずかしながら,金沢に来るまで金沢の俳人,小杉一笑という人を知らなかった.
しかし松尾芭蕉がその死を悼んで詠んだ句は聞いたことがある.
塚も動け 我が泣く声は 秋の風
茶商を生業とした一笑の名を抱いた茶房では,金沢棒茶と菓子を頂いた.露に濡れる秋の花の様な菓子が何をモチーフとしているのか,聞きそびれてしまった.
なお,棒茶は,葉ではなく茎で淹れるから棒茶というらしい.
粉引の急須が楚々とした風情を醸す.

ついでタクシーで日蓮宗正久山妙立寺へ.
百万石の禄高を誇る加賀藩は,江戸幕府の監視下に置かれ,幕府からの征伐を警戒しなければならない状態にあった.そのため,犀川と浅野川という自然の濠に挟まれたエリアに寺院群を移築し,いざというときの出城としての機能を持たせたそうである.
妙立寺は前田家の祈願所であり,万一の際は藩主が身を置く本陣としての機能を持っていたのである.そのため,敵が進攻してきた場合の落とし穴やら,道をわからなくするための様々な仕掛け,果ては,いざというときに自刃するための部屋まで用意してある.
このような仕掛けのため,「忍者寺」の別名を持つが,実際には忍者とは関係がない.
藩主が茶を点てるとき水を汲んだという井戸は,側溝から金沢城まで地下通路が伸びているという言い伝えがあるそうだ.当時の技術を考えると,犀川の下を走るトンネルを作ることは困難であり,恐らく川で途切れているものと考えられているが,まだ調査されたことのない謎だという.
そう言えば尾上神社に,池の水が地下で兼六園の池と繋がっていたと書いてあった.事実はさておき,金沢という町が前田家によって綿密に組織されていたことが伺える.
写真の階段は蹴り込み板部分が障子状になっており,明り取りの役目を果たすとともに,敵の襲来
いち早く知り,かつ内部から槍などで攻撃できるようになっている.
更に,階段を上がったところの戸は,逃げ込んだ味方を隠すからくり戸となっている.
百万石の禄高を誇る加賀藩は,江戸幕府の監視下に置かれ,幕府からの征伐を警戒しなければならない状態にあった.そのため,犀川と浅野川という自然の濠に挟まれたエリアに寺院群を移築し,いざというときの出城としての機能を持たせたそうである.
妙立寺は前田家の祈願所であり,万一の際は藩主が身を置く本陣としての機能を持っていたのである.そのため,敵が進攻してきた場合の落とし穴やら,道をわからなくするための様々な仕掛け,果ては,いざというときに自刃するための部屋まで用意してある.
このような仕掛けのため,「忍者寺」の別名を持つが,実際には忍者とは関係がない.
藩主が茶を点てるとき水を汲んだという井戸は,側溝から金沢城まで地下通路が伸びているという言い伝えがあるそうだ.当時の技術を考えると,犀川の下を走るトンネルを作ることは困難であり,恐らく川で途切れているものと考えられているが,まだ調査されたことのない謎だという.
そう言えば尾上神社に,池の水が地下で兼六園の池と繋がっていたと書いてあった.事実はさておき,金沢という町が前田家によって綿密に組織されていたことが伺える.
写真の階段は蹴り込み板部分が障子状になっており,明り取りの役目を果たすとともに,敵の襲来
いち早く知り,かつ内部から槍などで攻撃できるようになっている.
更に,階段を上がったところの戸は,逃げ込んだ味方を隠すからくり戸となっている.

なお,40分間のガイドツアーは要予約なので,訪れる際には注意されたい.
夕食には少し早い時間であったので,近くにあるにし茶屋街に向かった.
事前情報通り,かなり小規模で,少し物足りない感じはする.時間が早ければ,料亭華の宿で,気軽に茶屋の雰囲気を味わうという選択肢はあった.
しかし夕刻が迫り,多くの店が閉まりつつある.どうやって時間を過ごしたものかと考え,再度寺町の方へ向かった.
先ほどの忍者寺の裏手にある,真宗大谷派願念寺という小さな寺の前で足が止まった.門の外には,先ほどの小杉一笑の菩提寺である旨書かれている.鐘は金沢に3つあるとされる明治期の朝鮮鐘とも.ふらふらと境内へ迷い込み,細部を眺めると,龍の手水や石碑などが趣き深い.
と,40代くらいの男性がやってきて,「鐘を聞きに来たのですか?」と聞かれた.訊ねると,近年,寺の鐘を撞くことは少なくなっているが,この音を保存したいと,毎週土曜日の夕方に,地元の人々が鐘を撞いているのだという.男は,その様子を取材している北國新聞の新聞記者であった.10月に本を出すのだという.北國新聞は,石川県内の朝刊普及率で七割という,有力な地方紙である.
やって来たのは80歳過ぎているのではないかと思われる,飄々とした小柄な男性であった.普段二人ないし三人で撞いているらしいが,相棒はいつもぎりぎりにしか来ないんだ,と笑った.
そうこうするうち,別の寺で同様に地元の人の撞く鐘が時を告げ始めた.
「撞いてみる?」との誘いを断る理由はない.除夜の鐘を含めて,梵鐘を撞いたことはないのだ.
鐘を撞くコツは,撞木数回往復させたのち,その勢いを生かすこと.そして前回の音が消えてから撞くことの二点らしい.あとは撞いた後,きちんと撞木の勢いを止めて,二度続けて鳴らしてしまわないように注意する.
夕暮れ時の金沢の街に響く鐘の音は僕の肉体と金沢の街の境界を曖昧に滲ませる.
思いがけない出会いは,旅を固有のものとする絶妙な香辛料である.
夕食は日本料理銭屋という正統派の料亭で頂いた.
御簾をくぐって部屋に入った瞬間から,全身の血液が踊り出しそうである.
菊の花のあしらわれた籠に入った先付に始まり,器も中身も溜息が出そうに美しく,味蕾が花開きそうに旨い料理が次々と出てくる.仲居さんも話が面白い.
金沢の人はもてなしということをよく知っているように思う.高い技術で歓ばせ,取り澄ましたところがない.
無地の黒い椀を開けると中に広がる豪奢な金の蒔絵は金沢をよく示しているように思う.外様としての分を弁えつつも,恵まれた土地に裏打ちされた豊かさを熟成させている.
泊まりはホテルドーミーイン金沢.
単純に連休中でほかの宿が取れなかったのだ.
四方を高い壁に囲まれた露天風呂には,想像力を持って浸かられたい.
本日は,不穏な風が吹き渡っていた.
台風が近づいているのだ.
夕食には少し早い時間であったので,近くにあるにし茶屋街に向かった.
事前情報通り,かなり小規模で,少し物足りない感じはする.時間が早ければ,料亭華の宿で,気軽に茶屋の雰囲気を味わうという選択肢はあった.
しかし夕刻が迫り,多くの店が閉まりつつある.どうやって時間を過ごしたものかと考え,再度寺町の方へ向かった.
先ほどの忍者寺の裏手にある,真宗大谷派願念寺という小さな寺の前で足が止まった.門の外には,先ほどの小杉一笑の菩提寺である旨書かれている.鐘は金沢に3つあるとされる明治期の朝鮮鐘とも.ふらふらと境内へ迷い込み,細部を眺めると,龍の手水や石碑などが趣き深い.
と,40代くらいの男性がやってきて,「鐘を聞きに来たのですか?」と聞かれた.訊ねると,近年,寺の鐘を撞くことは少なくなっているが,この音を保存したいと,毎週土曜日の夕方に,地元の人々が鐘を撞いているのだという.男は,その様子を取材している北國新聞の新聞記者であった.10月に本を出すのだという.北國新聞は,石川県内の朝刊普及率で七割という,有力な地方紙である.
やって来たのは80歳過ぎているのではないかと思われる,飄々とした小柄な男性であった.普段二人ないし三人で撞いているらしいが,相棒はいつもぎりぎりにしか来ないんだ,と笑った.
そうこうするうち,別の寺で同様に地元の人の撞く鐘が時を告げ始めた.

「撞いてみる?」との誘いを断る理由はない.除夜の鐘を含めて,梵鐘を撞いたことはないのだ.
鐘を撞くコツは,撞木数回往復させたのち,その勢いを生かすこと.そして前回の音が消えてから撞くことの二点らしい.あとは撞いた後,きちんと撞木の勢いを止めて,二度続けて鳴らしてしまわないように注意する.
夕暮れ時の金沢の街に響く鐘の音は僕の肉体と金沢の街の境界を曖昧に滲ませる.
思いがけない出会いは,旅を固有のものとする絶妙な香辛料である.
夕食は日本料理銭屋という正統派の料亭で頂いた.

御簾をくぐって部屋に入った瞬間から,全身の血液が踊り出しそうである.
菊の花のあしらわれた籠に入った先付に始まり,器も中身も溜息が出そうに美しく,味蕾が花開きそうに旨い料理が次々と出てくる.仲居さんも話が面白い.
金沢の人はもてなしということをよく知っているように思う.高い技術で歓ばせ,取り澄ましたところがない.
無地の黒い椀を開けると中に広がる豪奢な金の蒔絵は金沢をよく示しているように思う.外様としての分を弁えつつも,恵まれた土地に裏打ちされた豊かさを熟成させている.
泊まりはホテルドーミーイン金沢.
単純に連休中でほかの宿が取れなかったのだ.
四方を高い壁に囲まれた露天風呂には,想像力を持って浸かられたい.
本日は,不穏な風が吹き渡っていた.
台風が近づいているのだ.
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