20130915 能登半島を海へ山へ
【金沢,能登半島】
朝食後ホテルをチェックアウト.楽天トラベルでホテルと組み合わせると二割引になるので,ニッポンレンタカーで車を借りることにした.
金沢城は慶長7(1602)年に天守閣が落雷によって焼失して以来再建されず,代わりに三階櫓が建造された.幕府への遠慮や財政難から再建しなかったけれども,三階櫓を代用としたそうである.
敷地内をうろつくと,嫌でも石垣に目が行く.金沢城は多様な石垣を用いていることが特徴らしい.
最近再建された河北門の資料などを見ると,史実を集め,ディテールにこだわって再現した様子がうかがえて面白い.なまこ壁の平瓦は,釘の様なもので土台に打ちつけていたのだが,他の地域でもそうなのか,興味がわいてきた.
明治2(1869)年まで前田家の居城であった金沢城は,終戦 (1945年) まで陸軍の拠点,以降,平成7 (1995) 年まで金沢大学キャンパスとして利用され,現在は石川県金沢城・兼六園管理事務所が管理している.

兼六園と尾上神社にも再度立ち寄り,能登半島は西,のと里山海道を千里浜へ向かった.
千里浜は土のように細かい砂が特徴的で,車で走ることができる砂浜として有名である.
千里浜は土のように細かい砂が特徴的で,車で走ることができる砂浜として有名である.

千里浜を過ぎると,のと里山海道は山中を走る.
途中,別所岳サービスエリアで,「能登ゆめてらす」なる展望台へ寄った.
山中のサービスエリアに不釣り合いな現代建築は唐突な印象を受けた.
調べると,同地は能登半島地震の際に能登有料道路の復旧工事のための土砂を採取した地であり,この一帯の復旧と,地震の被害と復旧への足跡を遺すことが目的なのだという.
さらに北へ向かい,輪島に至る.今回の旅を計画した段階では,能登半島の突端,金剛崎まで行こうと考えていたのだが,輪島名物朝市に間に合わなかったあたりで,無謀な案であったと知る.
輪島では知り合いに紹介してもらった丸柚餅子の中浦屋に寄った.正直に言うと僕は「柚餅子 (ゆべし)」という食べ物に余りいい印象を持っていなかったのだが,丸柚餅子はその印象を払拭して余りあるものであった.
柚子そのものの香りと味を,やんわりとした感じで,これまで菓子だと思っていた柚餅子が,一つの食材に見えてきた.
ところで,能登には「能登丼」と呼ばれる丼がある.詳細はリンク先をご参照いただければ幸いであるが,海鮮・川魚を用いた魚介丼あり,能登牛・能登豚を用いた肉丼あり,山菜丼あり….
今回は助ずしで海鮮丼.お土産に輪島塗の箸まで頂いた.
途中,別所岳サービスエリアで,「能登ゆめてらす」なる展望台へ寄った.
山中のサービスエリアに不釣り合いな現代建築は唐突な印象を受けた.
調べると,同地は能登半島地震の際に能登有料道路の復旧工事のための土砂を採取した地であり,この一帯の復旧と,地震の被害と復旧への足跡を遺すことが目的なのだという.
さらに北へ向かい,輪島に至る.今回の旅を計画した段階では,能登半島の突端,金剛崎まで行こうと考えていたのだが,輪島名物朝市に間に合わなかったあたりで,無謀な案であったと知る.
輪島では知り合いに紹介してもらった丸柚餅子の中浦屋に寄った.正直に言うと僕は「柚餅子 (ゆべし)」という食べ物に余りいい印象を持っていなかったのだが,丸柚餅子はその印象を払拭して余りあるものであった.
柚子そのものの香りと味を,やんわりとした感じで,これまで菓子だと思っていた柚餅子が,一つの食材に見えてきた.
ところで,能登には「能登丼」と呼ばれる丼がある.詳細はリンク先をご参照いただければ幸いであるが,海鮮・川魚を用いた魚介丼あり,能登牛・能登豚を用いた肉丼あり,山菜丼あり….
今回は助ずしで海鮮丼.お土産に輪島塗の箸まで頂いた.

輪島まで来たのだから,輪島塗を見なければ.しかし,既に夕刻.開いている店を探し,訪れたのは涛華堂八井浄 (やついきよし) 漆器本店.飛び込んだだけなのに堪能させて頂いた.蒔絵や沈金に溜息をつく.
更に五代目当主と奥様の夫婦漫才を楽しませていただいた.展示品のバリエーションも広く,塗りものに詳しくない僕は,見るもの・聞くもの驚きであた.結局,スタンダードな無地の黒タメの椀を購入.
更に五代目当主と奥様の夫婦漫才を楽しませていただいた.展示品のバリエーションも広く,塗りものに詳しくない僕は,見るもの・聞くもの驚きであた.結局,スタンダードな無地の黒タメの椀を購入.

輪島塗は他の地域の漆工と比べ,「布着せ ( 下地の木に布を貼り補強)」を含む 124 もの工程があり,そのために,他の塗りものと比べると三倍ぐらいの価格になるのだと言う.
涛華堂で頂いた栞によると,輪島漆器は惟喬親王 (承和11 (844) 年 - 寛平9 (897) 年)の流れを汲むロクロ師の発案によると言う (輪島塗の起源に関しては諸説ある).寛文年間 (1661-1672 年) に珪藻土を漆に混合すると飛躍的に堅牢さが加わることが発見されたそうである.
珪藻土は珪藻という藻類の一種の殻が分解されて出来る二酸化珪素 (SiO2) を主成分とする.小さな穴が多数開いているために,単位体積当たりの重さが軽い.
この小孔によるものだと思われるが,水分や油分を保持する能力が大きく,土壌改良材や建材として使用されている.今朝訪れた金沢城河北門内部に,漆喰仕上による白壁の作成過程が展示してあったが,内部には珪藻土が使用されていた.
珪藻土は発癌性の可能性を指摘されているが,アイヌなどでは珪藻土を食べる習慣があったそうである.第二次世界大戦中の菓子などの増量剤に使われたこともあったらしい.
輪島塗の話に戻ろう.
写真の箸は,堆朱塗りと言う何層にも漆を塗り重ねる技法を使用している.この箸は確か 五十回だったと思うが,百回塗ったのもある.そこを砥石で削る (研ぎ出し) ことにより,年輪の様な模様を見せている.漆の色というと,朱色と鉄を入れた黒が多いが,この箸では白漆 (チタンが入っているらしい) を使っている.
堆朱塗りと言えば,木曽堆朱塗も有名であるが,あの年輪の様な模様も,これだったのかと納得した.調べていると,素地に彫りを入れるものと入れないものがあるようである.
涛華堂で頂いた栞によると,輪島漆器は惟喬親王 (承和11 (844) 年 - 寛平9 (897) 年)の流れを汲むロクロ師の発案によると言う (輪島塗の起源に関しては諸説ある).寛文年間 (1661-1672 年) に珪藻土を漆に混合すると飛躍的に堅牢さが加わることが発見されたそうである.
珪藻土は珪藻という藻類の一種の殻が分解されて出来る二酸化珪素 (SiO2) を主成分とする.小さな穴が多数開いているために,単位体積当たりの重さが軽い.
この小孔によるものだと思われるが,水分や油分を保持する能力が大きく,土壌改良材や建材として使用されている.今朝訪れた金沢城河北門内部に,漆喰仕上による白壁の作成過程が展示してあったが,内部には珪藻土が使用されていた.
珪藻土は発癌性の可能性を指摘されているが,アイヌなどでは珪藻土を食べる習慣があったそうである.第二次世界大戦中の菓子などの増量剤に使われたこともあったらしい.
輪島塗の話に戻ろう.
写真の箸は,堆朱塗りと言う何層にも漆を塗り重ねる技法を使用している.この箸は確か 五十回だったと思うが,百回塗ったのもある.そこを砥石で削る (研ぎ出し) ことにより,年輪の様な模様を見せている.漆の色というと,朱色と鉄を入れた黒が多いが,この箸では白漆 (チタンが入っているらしい) を使っている.
堆朱塗りと言えば,木曽堆朱塗も有名であるが,あの年輪の様な模様も,これだったのかと納得した.調べていると,素地に彫りを入れるものと入れないものがあるようである.

日没が近付いていたが,欲をかいて千枚田へ向かった.結論から言うと,暗くて余りよく見えなかった.そもそもあれは,輪島寄りから見るべきものであって,通り過ぎた位置から見ると,物足りないシロモノのようである.
夜の帳と競い,本日の宿,能登・志賀の里温泉いこいの村能登半島へ.修学旅行を髣髴したが,温泉は悪くない.
今日も大変楽しませて頂いた.
強まる風の音を遠くに聞きながら眠りに就いた.
夜の帳と競い,本日の宿,能登・志賀の里温泉いこいの村能登半島へ.修学旅行を髣髴したが,温泉は悪くない.
今日も大変楽しませて頂いた.
強まる風の音を遠くに聞きながら眠りに就いた.
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