20210102 水戸街道は日光街道から分かれる
【水戸街道/日光街道/奥州街道: 深川・千住宿】
元旦は休みにして,本日は水戸街道へ.
水戸街道の江戸六地蔵は,霊厳寺という清澄白河の寺にあるのだけれど,これは水戸街道沿いにはない.
六地蔵を寄進した僧 (地蔵坊正元) が深川の出身で,千葉街道の永代寺とともに,所縁の地に建てたのではないか,とのこと.それなら街道の名前を併称しなければいいと思うのだけれど,まぁ,そういうことになっているので,そういうことなのだ.
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水戸街道沿いではないので,歩いていく必要もなかろうと,電車で清澄白河駅へ.まずは深川釜匠で深川飯.
靴を脱ぎ,擦り切れた絨毯の弾かれた階段を登ると,フローリングの上に座布団と四角い座卓が並んでいる.座卓の上には,セルフの冷たい麦茶の横に様々な形の湯呑み.どれ一つ同じ形がない.昭和の空間に入り込んだようで安心する.
さて,深川飯がやってきた.小ぶりの丼の表面はあさりで埋め尽くされている.箸で一口すくい上げ,口に入れると意外なほど味は薄い.下町のくっきりしていた味を想像していたので肩透かしを食らったようであるが,これはこれでなかなかいい.口の中に入れた瞬間,わずかに磯の香りが漂い,噛み締めると弾力のあるあさりから濃縮された貝の旨みが広がる.蒸されたしめじからはほろ苦い山の恵み.湿った森のような味わいが豊潤な汁とともに口で広がる.
淡白ながら旨味の絡み合う飯に,三種の漬物と昆布の佃煮がアクセントを加える.
深川釜匠: ★★★★★ (砂抜きが完璧ではなかったので,4.5 点くらい)
食後は霊巌寺まで歩く.広々とした境内の気持ちいい寺.江戸六地蔵五番目.
見慣れた丸い傘の優しい菩薩を詣で,寺務所へ.御朱印は書き置きで,「水戸街道」の文字はなかった.さすがに街道名,名乗るの気が引けるよなぁ.
霊巌寺: ★★★★☆ (六地蔵に興味がなければ★3つかも知れない)
そこから歩いて 15 分ほどの永代寺へ.
寺の前には深川不動尊へ向かう人の群れが列をなしていた.
門前仲町の名前の由来にもなった伝統ある寺であったが,富岡八幡宮の別当寺 (神社に付随する寺) であったため,明治維新の神仏分離による廃仏毀釈 (仏教,アカンという動き) のため一旦廃寺となっている.そのため江戸六地蔵六番目の寺であるが地蔵は残っていない.なお,一応千葉街道いうことになっているが,霊巌寺と同じく,千葉街道が近いわけではない.
門を入ると手の届きそうなところに本堂のある小さな寺であるが,小さい地蔵像や観音像もある.
地蔵尊の名前がなくても御朱印を,と社務所に声をかけると,「正月はやってません」と,六十代ほどの女性は,眼鏡を直しながらそっけなく答えた.
「いつからやりますか?」
「決まってません」
うーむ.残念.
永代寺: ★★★☆☆ (地蔵菩薩に関する記載はなく,知らなければごく普通の寺…か?)
しかるのち小伝馬町へ.
一昨日見そびれた日光街道入り口の道標を見ようと思ったのだ.だが,何度往復してもそれらしきものがない.もしや…この工事現場の中に…?
今日は振られる率が高い.
それから日比谷線で南千住へ.一昨日の続きの日光街道を歩き継ぐのだ.
荒川区の南千住から隅田川を渡ると足立区の北千住へ.
北千住は良かった.足立区が力を入れているようで,歴史的な背景を語る看板が至る所にある.やっちゃ場といわれる市場があった地域である.青物問屋の屋号の書かれた看板を掲げている家も多く,趣がある.
日光道中と書かれた碑もいくつか.
脇本陣を務めたこともあるという源長寺を訪れ,御朱印を貰った.本年初の手書き.
源長寺: ★★★★☆ (仁王像は新しいので少し物足りないが立派)
一月二日だというのに千住ほんちょう商店街は 6 割方開いている.人通りは中心地で 2 秒に一人くらいか.
屋号の看板が無くなった分,商店街では日光街道を往復した大名たちの家紋が飾ってある.旅人を飽きさせまいとする心憎い演出.
さすがに本陣や一里塚は石碑があるのみではあったが,看板よりも石碑の方が嬉しい.何となく.
江戸時代から残っている伝馬屋敷もあり,千手宿は中々見応えあり.
千手宿: ★★★★☆ (基本的には標識のみなので,★一個減)
千手から荒川を渡り,更に北上.旧日光街道の表示もあり…….
あれ?
僕,今日水戸街道歩くんじゃなかったっけ?
慌てて地図を見ると,千住で水戸街道は日光街道から分かれるのだった.しまった.
戻るのも癪なので,今日は日光街道を歩く日だったのだと思い直して,東武スカイツリーライン梅島駅まで歩いた.
本日のウォーキングは 6.7 km
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