20201231 奥州街道は腑分けで終わる

【奥州街道/日光街道/水戸街道: 日本橋~千住宿】


空は快晴,気温は 6 度.ネルのシャツにダウンコート.

日向は暖かいが,日陰はぐっと寒く,地図を持つ指の感覚が鈍い.そして都心は日陰ばかりである.


例によって日本橋道標から出発.本日は奥州街道 (道中) を歩く.奥州街道は宇都宮まで日光街道と同じ道なので,日光街道を歩く,と言ってもいいのだけれど,六地蔵は奥州街道沿いにあることになっているから,奥州街道と呼んでおこう.ちなみに両道は,千住宿まで水戸街道と一緒.あぁ,ややこしい.


歩き始めは昨日の中山道と同じ.数分歩いたところで右折し,大通りから離れる.人はまばらで,年末の慌ただしさは感じない.


しばらく歩くとちょっとした問屋街に.

人通りはなく,静かなものだ.

浅草橋のあたりで分かりづらい交差点を越え,国道 6 号線を北へ.その名も江戸通り.なんだか嬉しい.


途中壁に「凧」と大書きした小さな店の前を通る.店内には大小取り混ぜた和風の凧が並んでいる.店頭には百人一首や民芸玩具.

と,背中の曲がった灰色の頭の男性が出てきた.モスグリーンのカーディガンを着た彼が余りゆっくり動くので,最初人がいることすら気付かなかった.男性は僕の方をチラリと見ると,商品を並べ直した.あっ,しまった.何か買うと思われたかな.家にものを増やしたくないので,心で謝りつつ,店を後にした.


そうこうするうち,浅草は雷門へ.日光へ向かう旅人たちは,浅草で一休みしたのだろうか.

年の瀬の割に人は少ないのだろう,客寄せする人力車の曳き手の数は多い.

昼はうな鐡 (うなてつ) でひつまぶし.駒形どぜうか鶏よしもいいかなと思ったけれど,大晦日はやっていなかった.

ひつまぶしの表面は香ばしく旨い.塩味は濃いめだが,出汁があっさりしているので,茶漬けにするとちょうど良い.大晦日・正月含めて年中無休.昼から夜まで通しで営業していて,使い勝手がいい.

うな鐡: ★★★★☆ (うなぎの身はもう少し肉厚であってもいい.建物が現代風.値段は高め.…ではあるが,僕はうなぎが好きなので,少し甘めな点数)


浅草は人が多いので早々に退散して街道へ戻ると,閑散としていて落ち着く.


東禅寺は大きな地蔵が鎮座しているが,モダンな菱形の本堂へは入れない.傍にある家の呼び鈴を鳴らすと,「はーい」と明るい声がして,パタパタパタ,小走りに誰かが近づいてきた.

ドアの向こうで「どーぞー」と言われたので,そっと引き戸を開けた.声の主は 60 前というところか.ダウンの上着を着た人懐こい笑顔の女性の後ろに,鏡餅が見える.その前に積まれているのは曹洞宗家庭暦.

住職がちょうどいますよ,といって御朱印帳を手に奥へ行くことしばし.戻ってきた御朱印帳には確かに「奥州道」の文字が.しかるに本日歩いた道は,日光街道のみならず,奥州道ともいえるのだ (奥州街道と奥州道中の間を取ったものか?).何しろここまで,奥州街道と書いてある場所,一か所もなかったもんね.

更に北へ進むと,南千住の手前で荒川区に入った.ここで道路標識に日光街道と書かれているのを見つけた.よしよし.


南千住駅を過ぎたところに小塚原刑場跡という表示がある.そこで腑分けをして解体新書が書かれたというので,傍にある回向院には「観臓記念碑」がある.

回向院の寺務所で御朱印を頼むと,小僧さんは少し動揺したように「いや,今はなんていうか,ちょっと」と早口に口籠もった.書き置きがあるか聞くと,少しほっとしたように「それなら」と奥に入っていった.


今日は蕎麦を受け取りに行かなければならないので,南千住で終了.大変な一年だったけれど,もう年越しなのだな,と思うと感慨深い.


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