20201229 甲州街道の地藏はクメール建築の横に座す

【甲州街道: 日本橋~初台】

昼は日本橋たまゐ.先日も行った穴子の店だ.

外には既に数組が並んでいる.既に,と言ってもちょうど昼時.むしろ少ないぐらいか.


「見ておいてくださいね」

寒さに耐えて待つ僕に,少し関西訛りの中居さんは慌ただしくメニューを渡した.歳の頃は四十の後半くらいだろうか.後頭部に丸くまとめられた髪は,忙しいだろうに一糸の乱れもない.


店に通され,まず穴子の天ぷらが来た.サクッとした衣はごく軽やかに,濃厚な穴子の脂を包む.これは旨い.

次いで穴子ちらしの特特.

穴子の白焼き三本,マグロとハマチの漬け,エビ,いくら,とびっこ,玉子,枝豆,黒豆,蓮根,椎茸,しめじ,きゃらぶき.きゅうり,大根,干瓢.

いずれも味付けがしてあり,添えられているタレは必要なかった.

漬けの味はまろやかで,魚の味が際立つ.エビはぷりぷり,椎茸の出汁も上品である.

特上になると,白焼きが一本になり,エビ,イクラ,とびっこがなくなるそうだ.

持ち帰りだと,漬けもなくなるというのだから,店内で食べた方がいいだろう.


玉ゐ日本橋本店: ★★★★★ (敢えて減点項目を言えば,店構えのわりに老舗ではないところ?)


一旦日本橋の道標まで来て,本日の旅を開始.今回は甲州街道を歩けるところまで歩く方針.

甲州街道,と書いたけれど,元々は甲州海道と呼ばれていたのが,海沿いではないということで 1761 年に幕府が名称を統一した際に甲州道中と呼ばれるようになり,それを嫌った明治政府が甲州街道と変えた,という歴史がある.これは,奥州街道や日光街道などでも同様.それぞれ,奥州道中,日光道中とも呼ばれる.


先日,品川の品川寺 (ほんせんじ) で見かけた「江戸六地蔵」を見に行くことにした.江戸六地蔵は病気の平癒や開運を願い,深川の僧が庶民からの寄進で六つの街道の江戸側の入り口に建てたもの.


今回目指すは甲州街道は太宗寺.前回東海道で訪れた品川寺が巡拝の一番目で,太宗寺が二番目.


銀座中央通りは手を伸ばせば誰かに当たるほど人通りが多い.

向こうの方では高島屋が少し傾き始めた山吹の光を反射している.


日本橋の道標を少し南に下ると,永代通りと交差する.そこを西に曲がり,皇居に向かう.永代通りはぐっと人が少ない.


ところがここで道が分からなくなってしまった.Googleマップに誰かが作ってくれた道と,本「ちゃんと歩ける甲州街道」の道が異なってしまったのだ.まぁ,「ちゃんと歩ける」シリーズは東海道を詳細に案内してくれたので,こちらを信じよう.


まずは東京駅の北東端にある北町奉行所跡へ.ビルの合間でえらい分かりづらい.少なくとも地図に書いてあるように曲がり角にあるわけではない.大丸の通用門というより,丸の内トラストタワー N 館の裏と言った方が分かりやすいかもしれない.


東京駅の中を更に迷いながら1番街を抜けて皇居へ.ここからの道は分かりやすい.日比谷通りから内濠通りに入り,皇居の周りを歩くのみ.



などとしているうちに 15:30 を過ぎてしまった.

現在気温は 12 度.勢いをつけて歩いていると,汗ばんでくる.

休みだからか,ランナーの数は多い.10秒に一人すれ違う程度か.


半蔵門で左折し,一路西へ.

国道 20 号線沿いには等間隔で国旗が並び,年始の訪れを漂わせている.


四ツ谷駅の東で一旦大通りを外れ,すぐ北に掛かる都内最古 (1913 年竣工) の陸橋を渡ったのち,再度 20 号線に戻り,西へ.ちなみに,この陸橋自体は都内最古だけれど,今あるものは二代目で,初代は多摩ニュータウンに移築されている.



やばい.もう 16:00. 太宗寺の御朱印が 17:00 までと言っていたのでぎりぎりか.


脇目も振らず歩いて,辺りが暗くなり始めた頃,新宿は太宗寺に.万歳,間に合った.

まずは入り口近くの地蔵菩薩を詣でる.次いで閻魔大王と奪衣婆 (冥界で亡者の衣服を剥ぐ老婆),不動明王を参拝.この不動明王は額に銀の三日月を戴くため,三日月不動と言われている.




公開していない本堂は,工事の帳で階段状に覆われ,クメール建築を彷彿した.

御朱印は年内は書き置き,新年は手書きとのこと.



初台駅から帰途についたのが 19:00.14:30 の歩き始めから 4:30 で 20km 程度.途中カフェで一休みしたとはいえ,相変わらずののんびりペース.見たり寄ったりするとこんなもんなんだよなー.


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