20231230 八丁味噌界に並び立つ両雄

 

【東海道:岡崎宿~池鯉鮒(知立)宿】

朝食は「無料健康朝食」としか書かれていなかったので、あまり期待していなかったのだが、岡崎おうはん(地鶏)の卵かけご飯、有機八丁味噌カレーあり。手づくり豆腐には「つけてみそかけてみそ(味噌ダレの商品名)」をかけて頂く。

スーパーホテル岡崎:★★★☆☆(温泉もあるので 3.5 寄り。ただ、温泉は一つしかなく、男女入換制なので、使用できる時間は限られている)

本陣に戻り、二十七曲の道標を追いかける。
昨日は「い、ろ、は、に」まで行ったので、「ほ」を探して歩く。

肉屋の永田屋は、看板の「電話七七壹番」がじわじわくる。三桁の電話って、いつの時代だろう。


籠田公園の辺りで、二十七曲の標識が途切れる。曲がり角に道標がないのだ。
「ちゃんと歩ける東海道」が、材木町のあたりで一部道標とずれている。

家康が関八州の太守として駿府城から江戸に入ったのが天正十八(1590)年、この年に田中吉政が岡崎城に入城した際に、東海道を城下に引き入れて整備している。
なので、江戸年間は、二十七曲は同じだと思っていたのだけれど、八木氏が参考にした時代と、道標が参考にした時代が違うのかもしれない。


ここらへんから、道標への不信感がもたげてくるが、どちらかが間違っていると悔しいので、念のため両方歩く。

始め、草履の乗った角柱であった標識は、歩くほどにバリエーションを増す。道標を立てる土地の制約なのだろうか。

街のはずれ、矢作川の手前の「れ」を最後に、二十七曲の看板を見なくなった。
あの辺りが松葉総門(岡崎城の西の端)なので、これで全部だったのだろうか。
となると、標は十七ヶ所あったということになる。

上に金の草鞋が乗ったポールを二十七個カウントするつもりだったので、少々拍子抜けである。いろはの書いていない標識もあったので、書かない方がスッキリするのではないだろうか。

二十七曲がりの最後の標識のあたりが、八丁町、味噌で有名なエリアだ。

八丁味噌というのは、岡崎城から八丁(約870メートル)のところにある、八丁村に二軒の味噌屋があったために名付けられた、豆味噌である(米や麦を使わない)。

東海道を挟み、南に「まるや」北に「カクキュー」。
二軒の老舗が並ぶ姿は、中々味わい深い。

両者とも蔵見学が可能であるが、時間が合わなかったので断念。

まるやの直売所に、味噌樽の模型があった(ホンモノは中に人が入れる大きさ)。


この辺りは川に囲まれ湿気が強いため、石を円錐型に高く積むことにより味噌から水分を減らし、雑菌の繁殖を防いでいるらしい。

米や麦を使わず、豆と塩と、蔵に住んできる麹菌のみで作る濃厚な豆味噌は、三河の食を牽引してきた。

まるやの味噌コーラ。言われないと味噌が入っているとは思わない。味はコーラよりもドクターペッパー寄りか。




「まるやさんの方が、カクキューさんよりも古いんですね」

昨日、備前屋に置かれていたカクキューの味噌に書かれていた創業年よりも、まるやの壁に書かれたそれが古かったので、何気なく口にすると、それまでにこやかにレジを打っていた女性の顔からすっと笑みが消えた。

「そうですね。うちの方が古いですね」

素っ気ない返事に何事かを感じ取り、「どうも」と、僕も言葉少なにレシートを受け取った。

あとで調べてみると、「まるや」が延元二(1337)年、「カクキュー」が正保二(1645)年創業。

カクキューのホームページによれば、早川久右衛門は、桶狭間の戦い(1560 年)のあとで岡崎の寺に逃れ、味噌作りを学び、その子孫が八丁村に移って味噌作りを生業としたのが 1645 年。

即ち、カクキューは、まるやよりも 300 年ほど後発ではあるが、まるやの弟子ではない。

ところで、カクキューというのは屋号で、会社は「合資会社八丁味噌」である。法人化は 1932 年。

まるやの法人名は「株式会社まるや八丁味噌」であるが、法人化は 1931 年の「合名会社大田商店」が最初のようだ。
1990 年に「合名会社まるや八丁味噌」に社名変更し、1996 年に「株式会社まるや八丁味噌」に組織変更している。

「ブランドバリューを活かさなかったのはそっちだろ」
「新参者のくせに、八丁味噌の名を取りやがって、アノヤロウ」

などと思っているのではないかと妄想を掻き立てると、趣深い。

なお「まるや」のホームページには「まるや八丁味噌、カクキュー八丁味噌の2社が江戸時代から、手を取り、時には競い合い、伝統製法で味噌作りを行っている。」と書いてあるが、「カクキュー」のホームページでは「まるや」について触れている箇所を見つけることは出来なかった(下記ウェブサイトを見ると、よきライバルぽいけど)。

ちなみに、現在、この二社が「八丁味噌」という名称を使えなくなるという、地理表示規制(GI 認定)が問題となっている。

名称を広めることにこだわるか、質をこだわるか、という問題に関し、僕は意見を言う立場にはないが、うまい落とし所を見つけて欲しい。

https://kokocara.pal-system.co.jp/2018/09/03/geographical-indications-hacho-miso/

昼は旧東海道を外れ、「街かど屋」という、チェーンの定食屋へ。関西・東海にしか店舗がないため、初めて行く。何と24時間営業。

味噌カツ定食 800 円。


街かど屋:★★★☆☆(良くも悪くもチェーン店)

来迎寺の一里塚。
両側とも遺っているのは、かなり珍しい。
日本橋から84里(約330キロメートル)。

随分遠くまで来たものだなあ。

夕刻、知立(ちりゅう)に到着。松並木がいい感じに遺っている。


知立はもともと知立神社に由来し、鎌倉期以降は、神社内の池の魚を代わりにあてて、池鯉鮒(読み方は一緒)と書かれるようになったという。
馬市や木綿市が有名であった。

本日の宿、ビジネス旅館双葉にチェックイン。

「お待ちしていました」

割烹着を着た女将はまだ若く、歯切れ良く和室に通してくれた。

夕食は駅前の「炭火焼鳥しげ」にて。
うなじ 280 円、つくね 280 円、ちょうちん 280 円、そり 250 円など。


炭火焼鳥しげ:★★★☆☆(チェーンとしては大分美味しいし、値段も安め。3.5 寄りの星三つ)










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