20231231 今年のことは来年にひきずらない

 【東海道:知立(池鯉鮒)宿〜有松〜鳴海宿】

「本当にごめんなさいねえ」

夜半を過ぎても階上の客が大宴会を繰り広げていたため、チェックアウトのときに、女将と亭主、若女将が本当に申し訳なさそうに、わざわざ頭を下げに来て、お詫びの品まで貰った。

「いんです、いんです。久し振りに集まると、騒いじゃうもんですよ」

寛大な振りをしたのは、僕も調子にのりがちだからというよりも、昨日は疲れ果てていたので、酔客が騒いでいても、よく眠れたのだ。

ビジネス旅館双葉:★★★☆☆(建物は古いが清潔。対応が丁寧だったので応援したい)

素泊まりだったので、宿の向かいの喫茶店で朝食を摂ろうと思ったが、大晦日なので閉まっている。ドリンク代だけでホットサンドまで付いてくる、名古屋モーニング文化を楽しみたかったのだが、仕方あるまい。

知立駅横の、二重構造になった踏切をとおり、東海道に戻った。

この踏切は、二組の歩行者用踏切と、一組の車用踏切があり、名鉄名古屋線と名古屋線の線路の間に挟まれた島のような、乗用車の入れないエリアへの交通を支えている。
そのため、車用の遮断機が降りているのに、歩行者用の遮断機は上がっているという時間が存在する。

旧東海道に戻り、程なく小松屋本家に着く。ここは「あんまき」の本家として有
名な店だ。

そもそも、知立神社の参道には、小麦粉に水を混ぜて焼いただけの「二つ折り」という菓子を出す店がいくつかあった。
よろずやをしていた小松屋も、そういった店の一つで、当時も今と同じく皮に少量の水飴を入れていたという。



庶民でも砂糖が食べられるようになり、餡をいれたら良いのでは、と小松屋が「あんまき」を売り出したのが明治二十二(1889)年。ちなみに、現在もっとも有名な藤田屋があんまきを売り出したのは戦後のことである。
ちなみに小松屋の女将が、現在は、小松屋以外に、藤田屋と、弘法庵(遍照院近くのそばや)の三店であんまきが食べられるとおしえてくれた。

経木に包まれて渡されたあんまきは、まだ、ほの温かい。

「これ、本物の経木なんですね」
「松みたいですよ。最近では、珍しくなったけれど、うちは昔から使ってるから……」

歴史ある店の「昔から」という言葉には、格の違いを感じる。

重曹で膨らませた厚い皮は、水飴の上品な甘さがふんわりと舌を楽しませる。
卵や牛乳を含まないので、アレルギーのある方にも人気だとか。

小松屋本家:★★★★★(神社の参道の入り口で知立の文化を支えている)

しかるのち、知立神社へ。
現在の神社の敷地は旧東海道から離れているので、ちょっと迷った。

明日の初詣に向けて準備の整った境内は、人が、まばらにも関わらず、浮き立つ空気を醸し出している。


嘉祥三(850)年に建てられ、永正六(1509)年に再建された多宝塔(国指定重要文化財)は圧巻。

 

 

境橋。三河と尾張の境界を流れる、境川を渡るこの橋は、東海道整備の際に、両藩立会のもと架けられたものであるが、質素な三河(東)側は土橋、派手好みの尾張(西)側は板橋の継ぎ橋であったことで有名である。

何度も壊れては修復され、明治に欄干付きの橋となった時は、一続きの土橋であったそうだ。

途中で構造の変わる橋といえば、アクアラインを思い出す。
アレは飛行機と船に対する規制の多い東京側は海中トンネル、規制が少ない千葉側は予算を減らせる海上橋になったらしい。

阿野の一里塚は、愛知県に現存する、対で遺っている二つの一里塚の一つ(もう一個は知立)。


昼は一旦国道に出て、「稲生(いのう)」で上ひつまぶし 3720円(3/4 尾)。

チェーン店ではあるが、ずっと歩いてきた身には、靴を脱いで、座敷で温かいお茶を飲み放題なだけで有難い。
僕はうなぎは好きなので、点数は甘くなりがちであるが、表面はパリッと香ばしく、中は
ジューシー。
臭みもないし、ウマイ、ウマイ。


稲生一号線豊明前後店:★★★☆☆(大晦日に美味しく食べられただけで有難いけど、安くはないかな……)

旧東海道に戻ると、すぐのところに桶狭間古戦場跡がある。
ただ、僕、何のために人々が戦ったのか、ということには
興味があるけど、戦国時代にはイマイチそそられないんだよなぁ。
自分が戦国時代に生まれたら、武将どころか、一発逆転大出世を狙う足軽ですらなく、イヤイヤ徴兵されて犬死にする農兵な気がしてならないんだよね……。


しばらく歩くと、急に町並みが街道らしくなる。

有松である。

3年前に車で伊勢詣をした帰りに、一気に東京に帰るのも、と寄ったのが有松だった。当時は「歴史的な建物のある場所」という程度の認識だったが、町を訪れて、東海道の面白さに目覚めたのだ。

こうして日本橋から歩いてくると、改めて有松のすごさを感じる。
町全体で、ここまで江戸時代を盛り立てている場所は極めて稀なのだ。

もし東海道で、一箇所だけオススメの場所を挙げろと言われたら、有松は間違いなく候補の一つだ。
有松は宿場町ではないので都市化は進まず、町並みや山車などがよく保存されている。更に絞り染めという特徴的な伝統工芸があるため、経済的に自立する余地があった。


有松が往時の雰囲気を遺し、日本遺産として登録された背景には、名古屋市の一部であるため、アクセスや予算が他の街道沿いエリアに比べて恵まれていることも関わっていると思うので、他のエリアがそのまま倣うことが出来るかは疑問であるが、それでも文化を遺す、ということのヒントは隠されているように感じる。



有松の宿は僕が前回泊まった MADO しかないうえ、現在は一棟貸しのみのため、利用しづらいが、ぜひ多くの方に訪れて頂き、日本の文化を遺したい。

そうこうするうち、笠寺に着く。
笠寺の一里塚は、西が大正時代に取り払われているが、東側が現存。
支柱で主幹が整えられ、枝ぶりも丸く、見事である。
一里塚の盆栽を作ったら売れないだろうか。松バージョンとヒノキバージョン等々。


笠覆寺(りゅうふくじ)は、織田家に囚われていた竹千代と、今川家に囚われていた信長の兄の信広との人質交換が行われた舞台。

時刻が夕刻となったので、本日はここでいったん終了し、名古屋笠寺ホテルにチェックイン。巨大なスパ施設を併設しているせいで、ホテルのフロントが温泉のように湿気ている。


夕食は、名古屋駅まで電車で出て、樞(くるる)なる店でひきずり鍋1人前 2400 円を頼んだ。

名古屋では大晦日に、かしわのひきずり鍋(鶏のすき焼き)を食べる文化がある。現在ではそれが転じて、牛のすき焼きを食べる家も多いらしい。

ひきずり鍋は、別に年末に限った食べ物ではないが、今年の悪いものを来年に引きずらない、ということで、大晦日に食べられるようになったという。
「玉みち」(親鳥をさばいて取り出した、卵管と、その中の未成熟卵)や、醤油でなく「たまり(豆味噌を作るときに底に溜まる液体)」を使うのが特徴。

「樞」のひきずり鍋は、少なくとも、玉みちは入っておらず、普通の鶏すきな気がするけど、ちゃんと美味しかったし、大晦日に食べられたので、満足である(本格的なひきずり鍋の店は、本日予約が取れなかった)。


ちなみになぜ「引きずり」と呼ぶのかは、鍋で肉をよく引きずって焼くから、とか、また食べたいと引きずられるから、など、諸説ある模様.

鶏寿司三貫 950 円は、霜降りささみ、ムネ、モモで、これもなかなか。

カクキュー赤ダシ味噌赤出汁 280 円。
八丁村のカクキューなのに、八丁味噌と書けない問題がここに?と思い、八丁味噌アイス 550 円も注文。 店員さんに聞いたら、アイスの味噌もカクキュー製とのこと。単に名称にこだわりがないだけか?
カクキューでは、八丁味噌ソフトクリームは出していても、味噌入りのアイスは出していないので、この店のオリジナルなのかもしれない。


そして、このアイスが、めちゃくちゃ美味かった。
僕は甘いものは余り食べないのだけれど、甘じょっぱいアイスに、味噌のコクが混じり、カラメルとナッツが、香ばしさとふくよかさを加えている。これ、カフェで出したら、すごく売れるのではあるまいか。
ぜひ、カクキューか、まるやの八丁味噌で、ご検討いただきたい。

樞 名駅店:★★★☆☆(総論としては、美味しいチェーンの居酒屋という印象)

夜はホテルのスーパー銭湯に浸かり、2023年は終わりを告げた。

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