20200926-1 五十三次の間に

【東海道: 有松】
宿でパンとスープとゆで卵,コーヒーのシンプルな朝食を頂きながら,有松の話を聞く.

有松はそもそも,東海道の池鯉鮒宿 (ちりゅうしゅく) と鳴海宿の間の,山賊が出るような地域で,尾張藩が治安の為に知多半島から 8 人連れてきて,1608 年に出来た村だという.

昔は鳴海のあたりまで海で,有松は平らでなく,土も粘土質の赤土で,農業は出来なかった.なお,有松から歩いて 20 分程度のところにある桶狭間は,平地のため,陣を張れることが出来た.

1610 年に名古屋城の建築が始まったが,豊後 (大分) が普請奉行の一つであり,彼らは絞り染めの服を着ていた.同じく名古屋城の建築に関わっていた有松の人が,尾張藩の後ろ盾の元始めたのが有松絞りの始まりだという (有松絞りの始まりは諸説あるが,有松では数回同じ話を聞いたので,当地の人が信じているのはこの説のようだ).

有松絞りは綱吉が称賛したことにより,全国に売れるようになった.しかし,周辺で劣化した商品を作るようになり,有松の陳情により,21 名の職人のほか,有松絞りを作ってはいけないことになり,有松絞りは守られた.

有松は 1784 年に大火で焼け,20 年ほどで村中を建て替えた.これが現在の町屋が並ぶ景観となっている.2013 年に電線を地中化し,現在東海道沿いには電柱はない.

宿の亭主の話は,有松から広がっていく.

有松絞りの下となる綿花は,中国 (呉) から現在の愛知県蒲郡市に渡来した.知多半島では家内工業として綿の生産が行われ,二つの家に集積された.

ちなみに,知多半島の綿が松阪に伝わり,松阪の漂白する技術を得て,伊勢木綿が出来た.

この綿の歴史を汲み,浜松の農家出身の豊田佐吉が作った豊田自動織機につながる.ちなみにトヨタ自動車を作った豊田喜一郎は佐吉の息子であるが,農家出身である佐吉が,工場の為に農地を潰すなと言ったことから,当時何もなかった挙母 (ころも) 町 (今の豊田市の一部) に工場を作った.

なお,知多半島は水が少なく,農業が盛んではないが,醤油・酢・みりんなど作って潤っていたため,信長が欲しがったとか.

有松絞りは大きく,絞り (またの呼び方がくくり) と染に分けられ,絞りは柄師がデザインすることから始まる.

糸でしばる絞りの工程は,一人の職人が一つの技法を担当しており,一枚の布を数人の職人が模様をつけることもある.ちなみに,長寿で有名だった,きんさん・ぎんさんは,絞りの職人で,双子なので比較されないよう,違う技法を教えられたとか.

有松の絞り染めは,歌川広重や小田切春江の浮世絵にも描かれている (なお,歌川広重は実際には有松を訪れておらず,小田切春江の原画をもとに描いたのではないかとも言われている).

いずれにしてもこれらは宣伝のためのものであり,浮世絵としては珍しい.広重の絵には狂歌が書かれているが,有松にも狂歌をたしなむ人がいたのと言われており,その関係で描いてもらったのかも知れないとのこと.

MADO のおすすめ度: ★★★★★
(安くて,清潔な古民家なうえ,亭主の話が面白い)


宿を辞して有松の街を散策.

有松のごく一角ではあるが,町の 9 割ほどが町家で,いい雰囲気を醸している.
壁の上に作られた屋根 (卯建 (うだつ)) や,木部を漆喰で覆った塗籠 (ぬりごめ) づくりが往時の東海道を髣髴させる.




まず西の端にある有松天満社へ.菅原道真公を祀っている地域密着型の神社で,伊勢神宮とは違った良さがある.
写真ではわかりづらいが,幟は当然有松絞り.


町に戻り,宿で勧められた岡家 (市指定有形文化財) に寄り,話を聞く.
岡家は絞り方.絞り方 (括り方) は以前は 100 種類程度あったが,現在は 70 種類ほどだという.一人の職人が一つの技法を習得するが,職人は 70 名よりずっといて,何人も同じ技法を行う人がいる.台や針などの道具は職人ごとに異なり,自転車のスポークで作った針を使っている方もいるとか.
また,絞りは工業というよりも内職ごとで,知多半島には絞りをしている人はたくさんいる (今では海外にも外注している)).

通りを歩いていると,「ありまつ」と書かれたのれんと,白い立体的な布に包まれた提灯が目に入るのだが,あれは何なのか聞くと,提灯はポリエステル製の布を 130 度で加熱し,形状記憶加工した蜘蛛絞りのもので,2016 年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された際,のれんとともに各家に配られたのだという.提灯の色は,冬は白,秋は藍色,というように四種類あったらしいが,今はどこの家も白のままだという.
一般の家でものれんをかけていることもあるが「玄関にかけておくとお店だと思って入ってくる人がいるので,窓にかける方もいらっしゃいますね」と岡家にいた「あないびと」は笑った.なお,2016 年には日本遺産に指定されているが,この時はシンポジウムなど文化的な活動がメインだったそうだ.


ただ今年はコロナのため祭りはなく,飾られたかじ方の T シャツが寂しい感じをかもしている.山車の四隅を支える梶棒 (舵棒) を担ぐ人は,かじ方と呼ばれ,お神輿よりも重い山車を担ぐので,法被など着ていられず,今は T シャツを着ているそうだ.

右のあないびとが着ているのが板染めのTシャツ,左の法被の肩から腕にかけて染めてあるのが機械蜘蛛絞り.


さらっと書いたが「日本遺産」.

僕は恥ずかしながら,有松に行くまで,そんなものがあることすら知らなかった.
文化庁の事業で,世界遺産の様な文化の継承だけではなく,地域創生にも資するもの,らしい.いずれにしても 100 もない遺産の中で,この小さな町が選ばれていることは,すごいことだと思う.東海道沿いで伊勢からの帰途三分の一,というだけで選んだ場所なのだけれど,思いがけず大ヒット.

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