20200926-2 絞りと祭りと
【東海道: 有松】
のち,建物の中を案内してくれた.奥には賓客を通す入口があり,14 代将軍家茂が来た時も使用したという.家茂が通った茶室は,今でもあるとか.
入口に置いてあった絹地の若松に飛鶴文様本疋田 (ほんびった) 鹿の子絞打掛は見事であった.一般的な鹿の子が綿で 4 回絞るのに対して,本疋田は絹糸で8回絞るので細やかな文様が可能であり,頂点の藍が小さく,白いところが大きくなる.
この辺りでは,七五三や厄年など女の子の節目には絞り染め (模様のみでもいい) の振袖を作る習慣があるそうだ.
それから賓客の入り口と簾戸 (すど) で仕切られた部屋に案内してもらった.普段は廊下とは御簾で仕切られているらしいが,季節の変わり目で外してしまったと言っていた.「簾戸も夏のものなんですけれどね」
その部屋には勝海舟の筆による掛け軸が掛けてあり,竹田家の興隆が伺い知れる.
大広間には,本疋田の訪問着が三枚飾られていた.そのうちの一つ,椿の柄のものを見せながら,全ての花が上を向いているので,これは格の高いものです,と説明をされた.例えば袖は,一枚の布で縫うと,前面は花が上を向いていても,背面は花が下を向いてしまうが,この訪問着は背面も花が上を向いている,すなわちそのように計算されて布が作られているのです,との由.身頃と袖の模様もつながっており,技術の高さを感じる.小紋ならば模様は揃っていない.
「いくらぐらいするんですか?」と下世話なことを聞いてしまった.椿のセミフォーマルな訪問着をこちらで買うと 400 万くらい,東京で買うと一桁上がります,とのことなので,有難く拝んでおいた.
そのあと庭を見せてもらっていたら,8代目竹田嘉兵衛氏が登場.70 代後半だろうか.応接間に通されて,色々話をしたが,若いときに伊藤忠で働いていたころ,残業を月 130-150 時間もしていて,初任給 2 万が手取りが 5 万となり,お金を貯め,半年バッグパッカーに出たとか.香港,バンコク,インド,ネパール,アフガニスタン,イラン,トルコを巡ったとか.ネパールで警察から皇室警護まで上り詰めた空手の師範やら,素行の悪いネパールの皇太子の話など,面白おかしい旅の話を聞いているうち,結構時間が経ってしまった.
もっと話を聞きたかったが,嘉兵衛氏に電話がかかってきたこともあり辞した.非常に良い邂逅であった.
別れを言いがてら,店頭の品について聞くと,手蜘蛛しぼりとのことで,最も古い絞りだという.
昼になっていたので,寿限無茶屋で八丁味噌の煮込み (うどん)を食べた. MADO の亭主は,八丁味噌は 3 年寝かしていて,それだけ寝かすとどんな味噌でも赤味噌になると言っていた.寿限無の煮込みうどんは煮崩れないように麺は硬め.
寿限無茶屋のおすすめ度: ★★★★☆
(うどんがぼそぼそしていたので…)
有松の町を東の端まで歩いて行ったが,東は新しい家の方が多かった.
見どころはたくさんあったのだけれど,観光パンフフレットが勧めている有松山車会館に行った.
有松は西町,中町,東町と分けられるのだけれど,それぞれ山車を持っている.現在飾られているのは東町のもので,からくり人形が四体乗っている.前や上の人形は立ったり座ったりして,横の人形は一周周り,後ろの布袋様は頷く.一体当たり 2 人程度が操る.人形担当とお囃子を含めると 25 人ほどがすだれで隠された山車の下部に乗っている.東町のものは名古屋の若松神社の七つの山車の一つで,市町村の併合により余ってしまったものを買ったのだという.
東町と中町の山車は文字書き人形を乗せていて,下に潜んでいる人形方が,倣い (ならい) 板という板に刻まれた溝をなぞると,人形が「寿」などと文字を書く.
そういえば,最初に行った店の方が,人形方は墨が飛んでくるので濃い色の服を着るのだと言っていたなぁ,などと思い出す.
からくり山車は全国で 300 ほどあるが,愛知には 147, つまり約半数があり,愛知はからくりが発達していると言える.
会館の人は,お祭りのメインは,山車・御神輿・歌舞伎とあって,有松は山車なのです,と胸を張った.
東と中は文字書き人形が乗っており,それぞれ他地域から購入したものだけれど,西は独自に作らせたもので (それぞれ 1 億円程度) ,神功皇后車 (じんぐうこうごうしゃ) と言われ,有名な皇后陛下のからくり人形を乗せている.皇后陛下の手前には武内宿禰 (たけのうちのすくね) という,200 年以上生きたと言われる伝説の人物が描かれている.奈良時代の前に朝鮮に出兵する際に,鮎が釣れたら成功すると言われており,祭りではそのシーンを模している.
中町の山車は,知多半島は内海の最も金持ちな豪商から買い取ったそうだ.豪商は後継ぎが産まれたときに山車を作ったが,贅沢なため,幕府から目をつけられて手放したのだという.三町の中では最も豪華で,木も高価な木を使っている.有松は絞りで潤っていたため,山車を買うことができたのだとか.
三町とも江戸から明治の時代の作で,山車に乗れるのは,絞りに関した人のみだという.
お祭りは無形文化財に指定されており,タイヤを修復し,10-15 年に一度人形を修理しているという.
「生きて」いる文化がここに在る.
それから有松・鳴海絞会館へ行った.これがまた良かった.
一階の土産物店で,布マスクを買ってしまった.手蜘蛛絞りかな,と思って受付の女性に聞いたら,他の受付の方と相談し「多分そうです」と心もとない返事.まぁ,そう思って使っていれば,そういうことになるだろう.
会館では様々な有松絞りの柄を見ることが出来たし,有松絞りの工程を動画で紹介してもらった.動画は撮影禁止であったが,人形で工程が説明されていた.
1) 型ほり: まず紙にパンチングしてから,布に模様を写す.
2) 型紙に従い絞り (括り). 通常 4-5 の家庭に回され,4-10 か月を要する.
3) 染め
4) 糸抜き: 絞った糸を抜く工程.難しいものでは糸抜きのみで 3-4 日かかることもあった.
5) 湯通し: 絞った布は縮んでいるので,蒸気をあてて,しわを取る.
6) 店舗
絞りについては後述.
有松の町を楽しんだ後,静岡は由比へ向かった.東海道の日本橋から数えて 16 番目の,桜エビとしらすが有名な宿場町.
今回選んだのは,「割烹旅館西山」
遅くなってしまったので,着いてすぐに夕食.桜えびづくし,と謳われた食事は,生桜えび,釜茹で桜えび,桜えびの佃煮,桜えびのかき揚げ,桜えびと豆腐の鍋と,確かに桜えびづくし.まずくはないのだけれど….桜えびが好きなら,万々歳なメニューであろう.
次に行ったのは竹田嘉兵衛商店.有松染めを始めたと言われている竹田家は染め以外の全てをコーディネートする絞り屋.入口から中を覗いたが,声をかけたのに誰もいない.広い座敷の一角に,商品らしきものが並んでいるので,勝手に眺めていたところ,奥から女性が出てきた.江戸時代に幕府は絞りの技術を有松のみに許可をしていたのだとか,当時は手ぬぐいが一枚,現在の価格で 3 万円ほどもしたのだとか.さらに彼女は天井を差し,はねあげている分厚い板は,泥棒除けのものだったと説明をした.
のち,建物の中を案内してくれた.奥には賓客を通す入口があり,14 代将軍家茂が来た時も使用したという.家茂が通った茶室は,今でもあるとか.
入口に置いてあった絹地の若松に飛鶴文様本疋田 (ほんびった) 鹿の子絞打掛は見事であった.一般的な鹿の子が綿で 4 回絞るのに対して,本疋田は絹糸で8回絞るので細やかな文様が可能であり,頂点の藍が小さく,白いところが大きくなる.
この辺りでは,七五三や厄年など女の子の節目には絞り染め (模様のみでもいい) の振袖を作る習慣があるそうだ.
それから賓客の入り口と簾戸 (すど) で仕切られた部屋に案内してもらった.普段は廊下とは御簾で仕切られているらしいが,季節の変わり目で外してしまったと言っていた.「簾戸も夏のものなんですけれどね」
その部屋には勝海舟の筆による掛け軸が掛けてあり,竹田家の興隆が伺い知れる.
大広間には,本疋田の訪問着が三枚飾られていた.そのうちの一つ,椿の柄のものを見せながら,全ての花が上を向いているので,これは格の高いものです,と説明をされた.例えば袖は,一枚の布で縫うと,前面は花が上を向いていても,背面は花が下を向いてしまうが,この訪問着は背面も花が上を向いている,すなわちそのように計算されて布が作られているのです,との由.身頃と袖の模様もつながっており,技術の高さを感じる.小紋ならば模様は揃っていない.
「いくらぐらいするんですか?」と下世話なことを聞いてしまった.椿のセミフォーマルな訪問着をこちらで買うと 400 万くらい,東京で買うと一桁上がります,とのことなので,有難く拝んでおいた.
そのあと庭を見せてもらっていたら,8代目竹田嘉兵衛氏が登場.70 代後半だろうか.応接間に通されて,色々話をしたが,若いときに伊藤忠で働いていたころ,残業を月 130-150 時間もしていて,初任給 2 万が手取りが 5 万となり,お金を貯め,半年バッグパッカーに出たとか.香港,バンコク,インド,ネパール,アフガニスタン,イラン,トルコを巡ったとか.ネパールで警察から皇室警護まで上り詰めた空手の師範やら,素行の悪いネパールの皇太子の話など,面白おかしい旅の話を聞いているうち,結構時間が経ってしまった.
もっと話を聞きたかったが,嘉兵衛氏に電話がかかってきたこともあり辞した.非常に良い邂逅であった.
別れを言いがてら,店頭の品について聞くと,手蜘蛛しぼりとのことで,最も古い絞りだという.
昼になっていたので,寿限無茶屋で八丁味噌の煮込み (うどん)を食べた. MADO の亭主は,八丁味噌は 3 年寝かしていて,それだけ寝かすとどんな味噌でも赤味噌になると言っていた.寿限無の煮込みうどんは煮崩れないように麺は硬め.
寿限無茶屋のおすすめ度: ★★★★☆
(うどんがぼそぼそしていたので…)
有松の町を東の端まで歩いて行ったが,東は新しい家の方が多かった.
見どころはたくさんあったのだけれど,観光パンフフレットが勧めている有松山車会館に行った.
有松は西町,中町,東町と分けられるのだけれど,それぞれ山車を持っている.現在飾られているのは東町のもので,からくり人形が四体乗っている.前や上の人形は立ったり座ったりして,横の人形は一周周り,後ろの布袋様は頷く.一体当たり 2 人程度が操る.人形担当とお囃子を含めると 25 人ほどがすだれで隠された山車の下部に乗っている.東町のものは名古屋の若松神社の七つの山車の一つで,市町村の併合により余ってしまったものを買ったのだという.
東町と中町の山車は文字書き人形を乗せていて,下に潜んでいる人形方が,倣い (ならい) 板という板に刻まれた溝をなぞると,人形が「寿」などと文字を書く.
そういえば,最初に行った店の方が,人形方は墨が飛んでくるので濃い色の服を着るのだと言っていたなぁ,などと思い出す.
からくり山車は全国で 300 ほどあるが,愛知には 147, つまり約半数があり,愛知はからくりが発達していると言える.
会館の人は,お祭りのメインは,山車・御神輿・歌舞伎とあって,有松は山車なのです,と胸を張った.
東と中は文字書き人形が乗っており,それぞれ他地域から購入したものだけれど,西は独自に作らせたもので (それぞれ 1 億円程度) ,神功皇后車 (じんぐうこうごうしゃ) と言われ,有名な皇后陛下のからくり人形を乗せている.皇后陛下の手前には武内宿禰 (たけのうちのすくね) という,200 年以上生きたと言われる伝説の人物が描かれている.奈良時代の前に朝鮮に出兵する際に,鮎が釣れたら成功すると言われており,祭りではそのシーンを模している.
中町の山車は,知多半島は内海の最も金持ちな豪商から買い取ったそうだ.豪商は後継ぎが産まれたときに山車を作ったが,贅沢なため,幕府から目をつけられて手放したのだという.三町の中では最も豪華で,木も高価な木を使っている.有松は絞りで潤っていたため,山車を買うことができたのだとか.
三町とも江戸から明治の時代の作で,山車に乗れるのは,絞りに関した人のみだという.
お祭りは無形文化財に指定されており,タイヤを修復し,10-15 年に一度人形を修理しているという.
「生きて」いる文化がここに在る.
それから有松・鳴海絞会館へ行った.これがまた良かった.
一階の土産物店で,布マスクを買ってしまった.手蜘蛛絞りかな,と思って受付の女性に聞いたら,他の受付の方と相談し「多分そうです」と心もとない返事.まぁ,そう思って使っていれば,そういうことになるだろう.
会館では様々な有松絞りの柄を見ることが出来たし,有松絞りの工程を動画で紹介してもらった.動画は撮影禁止であったが,人形で工程が説明されていた.
1) 型ほり: まず紙にパンチングしてから,布に模様を写す.
2) 型紙に従い絞り (括り). 通常 4-5 の家庭に回され,4-10 か月を要する.
3) 染め
4) 糸抜き: 絞った糸を抜く工程.難しいものでは糸抜きのみで 3-4 日かかることもあった.
5) 湯通し: 絞った布は縮んでいるので,蒸気をあてて,しわを取る.
6) 店舗
絞りについては後述.
有松の町を楽しんだ後,静岡は由比へ向かった.東海道の日本橋から数えて 16 番目の,桜エビとしらすが有名な宿場町.
今回選んだのは,「割烹旅館西山」
遅くなってしまったので,着いてすぐに夕食.桜えびづくし,と謳われた食事は,生桜えび,釜茹で桜えび,桜えびの佃煮,桜えびのかき揚げ,桜えびと豆腐の鍋と,確かに桜えびづくし.まずくはないのだけれど….桜えびが好きなら,万々歳なメニューであろう.
↓ にほんブログ村: クリックお願いします!
0 件のコメント