20200925 日本文化の一端を知る
朝食後チェックアウト.
日の出旅館のおすすめ度: ★★★★★
(朝食付きで 7000 円は,立地も考えると悪くない.築 65 年の建物は,廊下がビニールであるなど不満点もあるが,朝食は部屋食だし,全体として雰囲気が良かった)
折しも激しい大雨の中,朝熊岳金剛證寺を目指した.伊勢神宮の鬼門を守っているこの寺は,「お伊勢参らば朝熊をかけよ,朝熊かけねば片参り」と唄われ,伊勢神宮奥の院とも呼ばれる.
山門を通ると著しく反り返った太鼓橋を中心に,美しい庭が雨に打たれていた.
御本尊を福威智満虚空蔵大菩薩とする臨済宗の寺だ.本堂,奥の院と詣でたが,奥の院にある先祖を供養する巨大な材木のような卒塔婆が圧巻であった.何故か帽子や杖が横に渡された紐にかかっていた.他にキーホルダー,メガネ,鞄なども吊るされていた.
しかるのち河崎のつたやという店でやまいも伊勢うどんに卵をトッピングして食べた.昨日一度食べたのみでは伊勢うどんの何たるかが分からないと思ったのだ.
この店の伊勢うどんは,茹ですぎた様にくったりしていて,腰はない.起矢食堂は汁がたれの様に量が少なかったが,つたやはスープの様にうどんを浸していた.汁は鰹の香りが立っていて旨い.
おすすめ度: ★★★★☆
(十分美味しいと思うけれど,特徴に乏しかったので)
食後,先日振られてしまった伊勢河崎商人館を訪れた.江戸時代の酒問屋「小川酒店」を改修した博物館だ.
受付の係の方によると,江戸時代,伊勢には年間 500 万人が参拝に来ていたという.江戸の人口が 100万人だったというのだから,大した人数である.灘から白鹿を運んだことを偲ばせる看板を見せてくれた.
河崎を流れる勢田川は,問屋街へ物資を運ぶための船が往来していたが,伊勢湾から海水が流れ込む感潮河川で,満ち潮の時に海から船が上ってきた.大きな船は満潮の時のみ通れたという.
河崎は問屋街として栄えたが,宿があったわけではない.江戸時代は内宮と外宮の間にある古市というエリア (昨日言っていた遊郭のある地域) が宿場の中心だった.古市には普通の旅館もあったが,御師 (旅行会社) の家に泊まることも多かったという.
そして明治になって電車が通る様になると,宿は伊勢市駅近くに移っていったそうだ.
博物館の中には山田羽書 (日本初, 世界二番目の紙幣) の他,しめ縄や瓦,蔵書,古地図などが展示されていた.
山田羽書は御師 (全国を行脚する旅行会社のような人々) を始めとする伊勢への信頼感から,紙が金としての信用を得ることが出来たという.金額によって色を変えていた時代もあった.
以下,しめ縄の説明.
【笑門 (しょうもん)】
「笑門」には招福の意味が込められており,「笑う門には福来る」からきていると言われているが,定かではない.一説には「蘇民将来子孫家門」を略して「将門」と書いていたが,怨霊で有名な平将門を連想するので,同じ音の「笑」で改めて,「笑門」になったとも言われる.明治時代の終わりから大正時代にかけて玉城町岩出 (たまきちょういわで) の農家の人が書き始め,伊勢を中心に売り出したと言われている.
【蘇民将来子孫家門 (そみんしょうらいしそんのいえのもん)】
伊勢地方で一番よくみられるもので,家に入ってくる厄災を防ぐ役割があるとされている.神様を歓待した人が,その恩返しによって厄災を逃れ,子孫が繁栄するという伝承に基づいている.
中央に書かれる「蘇民将来子孫家門」の左側には災難を避ける意味の「七難則滅 (しちなんそくめつ)」右側には福を呼ぶ意味の「七福即生 (しちなんそくしょう)」が書かれ,東西南北など周囲や境界を示す記号である記号がその上部に記される.
裏には速やかな効果の発現を願う意味を持つ呪文である「急々如律令 (きゅうきゅうにょりつりょう)」(本来は,中国の公文書の最後に記されていた文言),魔除けの意味を持つセーマン (☆) とドーマン (井井) が記されている.
【千客万来 (せんきゃくばんらい)】
「千客万来」はたくさんのお客さんが来ることを祈る内容であり,商売繁盛に通じることから,商店などに多く使われている.
戦後に玉城町岩出のしめ縄生産者が書き始めたものとされている.
【久那戸之神 (くなとのかみ) / 八●比古命 (やちまたひこのみこと), 八●比売命】(●=「行」の間に,上に月月,下にふるとり)
「久那戸之神」は「岐神 (ふなとのかみ)」ともいい,伊弉諾命 (いざなぎのみこと) が黄泉の国から逃げるときに,追ってきた雷に向かって持っていた杖を投げたところから生まれたとされ,地域の境界や街の分岐点から災禍を退ける神.この背景には自己の居住地域を一つの世界と考え,その境にいる邪霊の侵入を阻止しようと努めた古代人の心理があると考えられる.
「八●比古命」と「八●比売命」は,神様が高天原 (天井) から葦原の中つ神 (地上) に降る途中の道の分岐点の守護をする神.
この三柱の神様は共通して,内外の地域の坂出邪霊が侵入するのを防ぎ,災いを避ける意味を持っているとされており,川崎にこのような神様の名前が見られる理由は,川崎が多くの道の交差点であり,人や物の集まるところであったからではないかと思われる.
【門陽光子】
昨日おはらい町で見かけたが,商人館では言及なし.
通路に焼き物のタンクの様なものが置かれていたので聞くと,酒の容器だという.下部にある注ぎ口のコルクを外し,量り売りをしていたそうだ.有田焼が多いという.
博物館の前の蔵を利用したカフェで少し休んだのち,外宮にある「せんぐう館」へ向かった.これも一昨日振られた施設.
閉館が 16:30 (入場 16:00 まで) なので駆け足で見学.写真撮影禁止.
外宮の正宮 (の一部) の原寸大模型や,非常に凝った作りの外宮正宮のジオラマの他,社殿と御装束神宝 (おんしょうぞくしんぽう: 武具・楽器・服飾品など) を実際に再現した製作過程の展示など,非常に見応えがある.
おすすめ度: ★★★★★★
(日本文化の真髄を味わった気分になれる.リアルな展示物は圧巻.あまりに良かったので星一つ追加)
充実して伊勢を後にした.
本日の宿は昨日の晩,慌てて取った有松の MADO という,築 100 年の古民家を使用したゲストハウス.
有松は名古屋から車で 20 分程度の東海道沿いの町.東海道の宿場町,鳴海で泊まろうと思ったのだが,適当なところがなく近くで見つけたのだ.町屋の残る街並み.
とはいえ,有松の宿はこのゲストハウスのみ.以前はドミトリーだったらしいが,コロナの影響で今は部屋貸しになっている.
夕食は宿の近くのふじ寿しというところで,前菜と特上にぎり.前菜はきれいな盛りをしている.
ふじ寿しのおすすめ度: ★★★★☆
(悪くないとは思うのだけれど,ウニの香りなど,もう一歩かな,と思う品もあったので)
酒は店の名前を冠した有松の酒.安かったのだけれど,深い味わいで中々うまかった.
宿に帰り,例によって酒を飲み足す.蓬莱泉.愛知ではあるがやや遠い.柔らかな香りの酒.
↓ にほんブログ村: クリックお願いします!
0 件のコメント