20240424 東の箱根、西の鈴鹿

【東海道:関宿~坂下宿~土山宿】

雨の庭を眺めながら、宿にてコーヒーを頂く。
この宿は素泊まりのみであるが、飲み物は頼むことができる。

蔵を整理していたら出てきたという、陶器を銀でコーティングしたコーヒーカップは中々優美である。

昨日の焼肉屋で持ち帰りにした飯で、おにぎらずを作成。
歩いている途中で食うのだ。


ゲストハウス石垣屋:★★★★☆(食事がないのが、ちと不便ではあるが、建物の雰囲気が非常に良い。店主も面白い。宿泊せずお茶のみ楽しむのもいいかも)

まずはゲストハウスのすぐ横にある「関宿旅籠玉屋歴史資料館」へ。
玉屋は「関で泊まるなら鶴屋か玉屋、まだも泊まるなら会津屋か」と謡われたほどの大旅籠で、200名ほども泊まることができたという。

帳場の人形は、十二代目主人を模したもので(子孫の顔を参考にしたそうだ)、彼は離れの欄間を自作するなど、才能のある人物であったらしい。
草鞋を脱いだ旅人は、上がりかまちに腰を掛けて、桶で足を洗いながら、会話を楽しんだのだろう。

件の欄間がこちら。とても素人の作とは思えない。
関宿は本陣が現存しないので、近年やんごとなき御方がお休みになる時は、この離れでお休みになるらしい。


台所の隅に、大きな桶が置いてある。
係りの方に聞くと、昔は近所に風呂屋がいくつかあったので、この桶の湯は、身体を拭く程度に用いられ、風呂桶ではなかったそうだ。


今日中に鈴鹿峠を越えたいので、見学は一か所と思ったのだが、チケットが二ヶ所以上のものしかないのだ。

というわけで「まちなみ資料館」にも立ち寄る。
こちらは商売をしていない、普通の民家である。


「関宿では大体、東側に土間と台所があります」

案内人のハッピを着た男性が、説明をしてくれる。

「こういった民家は狭いですからね。各家が、東に土間、西に居間を交互に設置することで、声を聞こえづらくし、プライバシーを保っていたようです」
「何で東なんですか?」
「お伊勢さんに神棚が向き合うと失礼だから、という方もいますが、はっきりとした理由は分かりません」

他にも、色々面白い話を聞いた。

関宿の東追分(東の入口)の鳥居は、元は伊勢神宮の宇治橋の東詰(内側)で使用されていたものを遷宮の度に譲り受けたものであるが、西詰(外側)の鳥居を擁する桑名のように所有している神社があるわけではないという。
関神社の神職が立ち会うが、町が譲り受けているのだ。
(写真は昨日通った東追分の鳥居)


また「山車」はこのエリアでは「だし」ではなく「やま」と読むそうだ。

「ほら、関のやま、というでしょう?あれはうちの山車のことなんです」

いわく、関の道幅、或いは祭りの人混みに対して、山車を更に大きくすることが出来ない、というところから「これ以上は無理」という言葉ができたという。
関宿の小規模感が伝わってきて、空襲を受けなかった理由を何となく感じる。

「こういった古民家を保存するのは大変だと思いますが、誰がやってるんですか?」
「基本的には住民ですが、保護地区なので、ある程度、支援金がでます」
「伝統建築を建て直せる大工の方がちゃんといらっしゃるんですね」
「そうですね。この辺りでは、若い方への代替わりもしています」

やおら案内人が釘を使わずに、切り込みを入れて組み合わせた柱を指す。



「これは根継ぎ(ねつぎ)です。どうしても、日本家屋は、地面に接している木の部分が傷むので、そこだけ新しいものにするのです」

根継ぎは、継手の一種で、日本家屋の修復に用いられる伝統的な建築技法である。

さて、そろそろ出かけねば。

と言いつつ、深川屋で「関の戸」、前田屋で「志ら玉(しらたま)」なる菓子を購入。

深川屋は、寛永年間(1624~1645年)創業で、江戸時代からずっと製法を守り、銘菓「関の戸」を作り続けている。

ちなみに、深川屋は「忍びの隠れ蓑」つまり忍者が身分を隠すためにやってたという話もあり、店主のお名前も「服部」。

「いらっしゃいませ」

まだ十代だろうか、ごく若い青年がはにかんだように穏やかに挨拶をする。

「アナタ、もしかして忍者の末裔ですか?」

とよほど聞きたかったが、「こちらの復刻版の箱のを下さい」と言うに留めた。
大人になるというのは味気ないものである。
松並木を復元するための募金にも少々協力。

こちらが「関の戸」。
餡を求肥餅で包み、和三盆をまぶした上品な甘さの菓子。


ちなみに写真奥の「かたやき」は戦国時代に伊賀忍者がかさばらずにエネルギーを摂れるよう持ち歩いたもので「忍菓」とも呼ばれる。こちらは前田屋で購入。
堅い丸ぼうろみたいな感じ。

志ら玉は、店内で食べてもいい、と言われたので、隅でぱくり。
こちらは、江戸時代に「白玉」という名前で売られていた団子を復刻させたもので、控えめな甘さが上品である。
座布団が菓子を模していて、笑みを誘う。

いや、いい加減、行かないと本当に峠で行き倒れるぞ。

なのに、僕ときたら、先程も名前の出た旅籠、会津屋についつい。
時間がないから、歩きながら朝飯を食おうと思って、おにぎらずを作ったのに、結局食べていないものだから、腹が減ったのだ。

会津屋は、今はおこわと蕎麦が売りの飲食店となっている。

山菜おこわ・そば1350円を注文。
40分くらい待たされたが、餅米のおこわはモチモチで、素朴な味が旨い。炊いているカマドは大正時代のものだという。
柚子の効いた蕎麦や、タケノコの木の芽和えも、慈愛に満ちた味である。


この店では、自分でご飯を炊く竈体験もやっているというので、興味のある方はどうぞ。

会津屋:★★★★☆(建物は歴史があり、食い物もうまい。ただし、飲食業自体は最近になって始めたもの)

もう時間がないので、関宿の御朱印はあきらめよう、と思っていたら、こんなものが目に入った。


長徳寺の御朱印自販機。
包んである箱(リユーサブル)がまた、手作り感あふれていて、宗教と文化、民俗、そこらへんの味わい深さがじわじわとくる。


ここからは、建物もなく、余り見るものはないので、黙々と歩く。
傘を差し、雨けぶりに霞む山々を見ていると、自分が現代を生きているという時間感覚が薄まっていく。

江戸に生きている訳でもなく、敢えていえば、いつだろうと、どこであろうと、どうでもよい気がするのだ。

ただ、歩いている僕がいる。

坂下宿は、鈴鹿峠の江戸側の麓に位置するが、余り見るものはない。

この宿は、少なくとも室町時代には宿として栄えていたが、慶安3(1650)年に、洪水で一度壊滅し、移動している。

「古町」と呼ばれる、移動前の坂下宿の辺りには、片山神社という神社があり、ここからが「鈴鹿坂八丁二十七曲がり」と言われる急坂である。「東の箱根峠、西の鈴鹿峠」と並び称される難所であった。
宿が移動したのも、むべなるかな。

石段を打った雨脚は、小さな滝となって、僕の足を掬おうとする。
対抗して当方も、濡れまい、汚れまいと、一歩一歩慎重に地面を踏み締める。

遂には舗装されてない道に至る。


念のため今晩の宿には、徒歩で峠を越えることは告げておいたが、遭難した時に迎えに来てもらうことは可能なのだろうか、とふと弱気になる。

が、なんだかんだで峠を越え、ついに伊勢を脱出し、近江國、すなわち滋賀県に到着!
バンザイ!


峠越えで疲れたし、少し休みたいが、雨をしのいで座れる場所が全くない。

風が強く、時に傘を飛ばされそうになりつつ、ただ無心に歩みを進める。

一里塚跡のところで、屋根付きの小さな休憩所を発見!
バス停程度の広さではあるし、雨が降り込んで濡れそぼってはいるが、ベンチもある。


僕は、人類が犯しがちな過ちの一つは、ベストを求めることにより、マシな選択肢を失うことだと思っている。

なので、ずぶ濡れのベンチに昨日の焼肉屋のビニール袋を敷き、おにぎらずをぱくり。

旅路で食中毒は避けたいので、冷蔵庫で一夜を超えた米はボソボソしているが、刻んだ野沢菜漬と表面に添えたタクワンが、具のもつ焼きのアクセントとなって、中々悪くない。

強い風と雨の中、濡れそぼってメシにありつくのは、むしろ情緒があると言えまいか。

さて、腹も満ちたことであり、傘を構え直して、再度風雨に立ち向かう。

国道と側道を行きつ戻りつ、たどり着いたのは田村神社。

坂上田村麻呂が鈴鹿峠の悪鬼を平定したことを仰ぎ、弘仁3(812)年の嵯峨天皇の勅令に従い、設立された神社である。

かつては東海道が境内を通っていたくらいなので、詣でざるをえないが、時間的にもう遅いので、本日は一旦、宿に移動することにした。

土山宿のあたりは宿がないので、バスで水口宿まで移動。

本日の宿は、江戸時代の町屋を利用した、OMO・YA(おもてんや)という、民泊系。
昨日と雰囲気は似ているが、より庶民的で、田舎の祖父の家の風情がある。


以前、呉服屋として使用されていたスペースは、イベントスペースとなっていて、台所には井戸が!


宿泊部分は一階三部屋、二階二部屋の一棟貸切タイプなので、本来は大人数でわいわい借りるものなのだろう。

 


それにしても今日は疲れた。
ぬかるみの山道に足を取られぬよう、気も使ったし、体力も使った。

宿はシャワーのみなので、風呂に入りたい。

置かれたリーフレットなどパラパラ見ていると、歩いて10分ほどのところに、スーパー銭湯があるではないか。

よし!
飯もここにして、ダラダラと己を甘やかそう!

というわけで、「つばきの湯」にて、露天風呂やサウナに入り、体をほぐす。

食事処でビール、枝豆、揚げ出し豆腐とほっけ。


あー、うまい!
この一杯のために生きている気がする!

つばきの湯:★★★☆☆(まぁ、スーパー銭湯なんで……)

宿に帰って、もう一杯、と思ったが、近くにコンビニもないので、大人しく床に就く。

疲れた身体はすぐに夜の帳の中に溶けていった。

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