20240425 三本の道の先で舌鼓を打つ
【東海道:土山宿~水口宿】
本日の宿は素泊まりであるが、今回、サービスなのか、ご飯と味噌汁を用意してくれていたので、有り難く朝食として頂く。
OMO・YA(おもてんや):★★★★☆(東海道沿いの町屋を利用しているので、やや高めに点数を付けたが、一人で泊まると割高。10人まで泊まれるので、仲間と利用するのが良さそう)
土山宿に戻るバスを待つ間、まち街道交流館というところに寄り、情報収集をした。
水口はかんぴょうが有名なのは知っていたが、かつては「水口細工」という、葛などの蔓を使った籠細工も有名だったという。
さて、バスに乗り、土山宿まで戻る。
田村神社の参道の手前で、かにが坂飴という、べっこう飴を購入。
1200年以上の歴史、と書いてあるので、神社の建立された9世紀前半から参道で売られているようだ。
丸いツヤツヤした形は、鈴鹿峠で旅人に害をなしたカニの甲羅を模したと言われている。
竹皮で包まれた飴は、原材料が澱粉と大麦麦芽のみで、焦がし麦のような香ばしさが、癖になるウマさ。
国道を渡り、田村神社を参拝。
1200年の歴史を誇る境内には、杉の巨木が立ち並び、神聖な雰囲気を醸している。
まずは拝殿を参拝したあと、御朱印と福豆の授与をうける。
歴史のある神社なので、この神社には参拝前に身を清める、御手洗川があるのだけれど、ここでは、自分の年齢の数だけ大豆を御手洗川に落とすことで厄除けをする習慣があるのだ。
本来なら節分の豆を使うのだが、通年で福豆の授与を受けることができる。
そして、年齢とは関係なく、袋ごと川(下には受け止める台がある)に落とすという少し合理化された参拝方法が現在は一般的なようだ。
写真は御手洗川の上の橋。右(東)に小さな社がある。
奥が本殿。
本殿を参拝して田村神社を辞し、東海道へ。
土山宿は、古い建物はそこまで多くはないが、保存会(土山の町なみを愛する会)がサポートした看板や石標から、江戸時代にあった建物を偲ぶことができる。
途中寄った白川神社は、御由緒は明確ではないが、境内の土俵で相撲が取られたことがあったり、お百度詣りや神石など、特徴的な参拝方法が残っていて、興味深い。
ちょうど昼になったので「うかい屋」で鴨なんばん蕎麦を頂く。
燻製されたと思しき鴨からは、洋風の出汁がでており、なかなか美味かった。
「あと5秒。はい!」
腰の曲がった店主の横で、連れ合いが茹で時間を計っている。
「あの人、東海道を歩く人のお休み処を作りたいって、平成五年にこちらの建物を買って、お店を始めたんですよ」
江戸時代は両替商(質屋)をやっていたという建物は大きく、手前は工芸品を売っている。
店主は元々この地の生まれだそうで、「甲賀」という地名は、「こうが」と読まれたり「こうか」と読まれたりしてきたが、元は「鹿深(かふか)」からきたと言われているので、市の合併の際に「こうか」に統一されたのだとか、この辺りで有名だった「お六櫛」は木曽から来たものだが、ツゲではなく、ミネバリであった、などと、色々話を聞かせてもらった。
土山が「あいの土山」と呼ばれている理由は、少なくとも七種類あるなど、なかなか話が尽きない。
うかい屋:★★★☆☆(蕎麦屋として歴史があるわけではないので、低めになってしまうが、周りに食事をできるところはなく、店主が東海道に詳しいので、のんびりするといいのでは)
飯の後は「東海道伝馬館」へ。
もと庄屋宅であったという建物は、土山宿に関するものというよりも、東海道全般をテーマにしていて、主に模型が飾られている。
僕が行った時は、常展の東海道全宿の盆景と、特別展の各宿の土産物の模型が飾られていた。
蔵の大名行列の模型も、なかなか見応えがあるので、時間があれば立ち寄りたい。
ところで、伝馬館の手前に「歴史の道東海道宿駅会議」の事務所がある。
この法人は東海道検定を2008年に初めて開催し、2024年の第16回は、東京と京都を含み、全国7か所で開催されていている。
土山宿が中心となっているが、東海道全体で盛り上げたい、ということなのだろう。
意外と時間が過ぎてしまったので、黙々と歩く。
途中、川崎から九州まで野宿しながら歩いているという、77歳の男性と知り合ったりしつつ、水口宿に戻ってきた。
水口宿と言えば「三筋の町」とも言われていて、本陣の西側で道が三本に分かれ、再度合流する独特の街並みが有名である。
下の写真は、三叉路の西側の端。中央が旧東海道。
これは、天正13(1585)年に水口宿の北側に水口岡山城が整備されたころ、敵が侵入しづらくするために作られたもののようだけれど、ちゃんとした資料を僕はまだ見つけていない。
なお、宿場の西側の水口城は、家光が上洛の際の宿として築城したものである。この水口城は現在、博物館となっているので、もしかしたら三筋に関する情報もあるのかもしれないが、休館日であったため、行けなかったのが心残りである。
本日の宿は「あや乃旅館」という、昭和のビジネス旅館風の宿。
夕食を既に予約していたので、小休憩のみで出発。疲れたなあ。
飯なんか予約しないで、そこらで適当にすませばよかっただろうか。
夕食は「ふじ吉」へ。水口かんぴょうを食べられるところを探して、行き当たったところだ。
しかし、元はと言えば水口が名産地だったのが、殿様が水口藩から壬生藩に国替えとなり、その際に干瓢の生産を伝えたそうだ。
水口の干瓢は、国産の2%以下なのだけれど、今でも天日干しの伝統的な製法の水口干瓢は、柔らかく、味がしみこみやすいのが特徴で、2024年3月に地理的表示(GI)登録された。
ふじ吉の女将によれば、現在では販売用に水口干瓢を生産している農家は17軒しかないが、自家用に生産している家はもっとあり、秋には小学生が専用のかんなを用いて干瓢作りを体験するそうだ。
さて、会席料理六千円のお味は如何に。
まず、先付は、いさざともろこ、二種の湖魚を煮たものであるが、いさざはしっかりした甘露煮、もろこはあっさり目の味付け。
赤こんにゃくは、滋賀県は近江八幡から全国に広まり、こんにゃくの独特の臭みがないのが特徴である。
菜の花のローストビーフ巻きはもちろん近江牛。
ホタルイカのぬたはネギが確か滋賀のブランドもの。
特筆すべきは鮒寿司。最古の寿司と言われていて、塩漬けにした琵琶湖のニゴロブナを、ご飯と重ねて発酵させたもの。
寿司というよりは、発酵食品というイメージ。前から食べたいと思っていたが、中々機会に恵まれず、今回初めて食べた。
「こちらは臭みが抑えめになっているので食べやすいと思いますよ」
楚々とした女将が微笑む。
この方、所作が大変美しく、全く音を立てないものだから、気付くと横に立っていて、心臓が止まりそうになる。
鮒寿司は、昔ながらの作り方である「本漬(ほんづけ)」と、途中でご飯を酒粕に変えることで臭みを抑えた「甘露漬(かんろづけ)」があるので、僕が食べたのは甘露漬と思われる。
「これ、めちゃくちゃ美味しいですね!」
ひとくち口に運んで、僕が思わず口に出すと、女将は、くすくす笑った。
ヨーグルトというか、クサヤというか、発酵食品独特のコクのある酸味が、魚の旨みを最大限に引き出していて、日本酒に合うのだ。
地酒は飲み比べで三種類出してもらったが、特に湖南市の北島酒造の、きもと純米「エン」生酒と鮒寿司を合わせるのが気に入った。
向付はヒラメ、エンガワ、マグロ、ホタテ。
エンガワはシソと菊花を和え、ホタテは炙り、味も醤油とポン酢で変化をつけている。
肉厚のヒラメの旨味と言ったら!
次いでは鍋で、近江牛のしゃぶしゃぶに、水口の筍と、ミブナ、豆腐。
この辺りは、筍をよく食べるように思う。
それぞれの素材が、味蕾や歯応えを通じて、存在感を主張してくる。
何より、出汁がうまい。
器も素晴らしい。
こちらの店は、基本的に滋賀の信楽焼きを多用しているのだけれど、その表現力の広さに、ハッとさせられる。
僕は信楽焼というと、タヌキ像で代表される、茶から黒の素朴な焼き物というイメージが強かったのだけれど、こちらの信楽で印象が変わった。
織部のような緑のグラデーションの片口と、鮮やかな緋色に融けたガラス質の長石が繊細な光を与えるぐい呑みが、食の喜びを展開してくれる。
天ぷらは、水口干瓢、こごみ、スズキ。
スズキはアラレとシソがまぶされている。
干瓢は、乾燥したものを戻さずにそのまま衣をつけて揚げるのだという。
硬さも臭みもなく、ウドに近いかもしれない。
柔らかさがウリの水口かんぴょうならではの楽しみ方かもしれない。
焼き物はマスの幽庵焼き。
ワラビはピーナッツと出汁のたれがかかっている。
予約を取ったとき、主人と思われる電話口の男性がぶっきらぼうで、少々不安に思っていたのだが、いや、もう、手掌で安心して転がして頂いている感覚。
旨いだろ、これ?
魚のホクホクと味噌のコクが来たら、酢蓮でさっぱりしたいだろ?
柚子の香りが口の中に漂っている間に、蕨のほろ苦さとピーナッツの甘さで余韻を味わいたいんだろ?
ちなみに、ご亭主は言葉少なで、どちらかというと朴訥とした感じなので、上記は料理が語っているとご理解いただければ幸いである。
若竹煮もとても美味しいのだけれど、ワカメの甘さは、僕はもうちょっと控えめでもいい。
バッテラの巻きずしのようなものは、美のべ寿司と仰っていた。
ふじ吉さんのオリジナル。
しば漬けと干瓢をご飯に混ぜ込み、サバを載せている。バッテラの進化系といった風情である。
水口かんぴょうの干瓢巻きは、往年の名俳優が千秋楽にそっと姿を見せたようなもので、「待ってました!」「いよっ!ふじ吉屋!」と心の中で喝采を浴びせる。
水菓子を賞味し、茶で人心地付きつつ、女将に言う。
「美味しかったです。今日死んでも悔いはありません」
「ふふふ。まだまだ死なんでくださいな」
迷惑な客が幸せに退店すると、角を曲がるまで亭主と女将は、丁寧に見送ってくれた。
ふじ吉:★★★★☆(いわゆる、静かな名店。正直、あんまり人に教えたくない)
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