20240423 超電導と伝統は未来を模索する

【東海道:庄野宿~亀山宿~関宿】


さて、今回は鈴鹿は庄野宿から再開。さすがに三重県まで来ると、辿り着くまでが結構大変である。

取り敢えず新幹線で、朝食として柿の葉寿司を食う。小さな押し寿司に食らいつくと、苦味を感じさせる渋柿の葉の香りがふんわりと漂う。
奈良は吉野の郷土料理である柿の葉寿司は、塩サバが一般的であるが、東京駅の新幹線構内で買った「ゐざさ」のセットには、サケ、アジ、タイも入っていて、舌を楽しませてくれる。
醤油は添えられているが、しっかり味はついているので、そのまま頂き、合間にガリを摘むのが好み。

名古屋駅で関西線に乗り換える。
二両のワンマン電車。旅情が盛り上がる。

「ご乗車ありがとうございます。ただいま乗車券を拝見しております」

四日市市の手前で、検札がきた。

「はい、ありがとうございます」

スマホの SUICA アプリを示すと、制服の男性は頷いた。
乗車記録は前日以前の分しか見られないんだけど、まぁ、なにがしかの支払い手段を持ってればいいんだろう。

性善説、性善説。

……アレ?これ、ワンマン列車だよね?
今の人……だれ?
まさか、車掌オンリーで、自動運転?

ちらりと運転席を見ると、帽子を被った人影が見える。

うーん、検札していた人は半人前で、ワンマンにカウントされないということか??
(好奇心に耐えきれず車掌さんに聞いたら、両替などで手間取る方が多いので、最近はワンマンでも車掌のいる列車を増やしているとのこと)

この列車は南四日市駅以降は終点亀山駅まで無人駅なので、乗り降りは一両目に設置された整理券と料金箱を利用した、バス形式である。

こないだ甲府から静岡方面に乗った身延線と似ているが、身延線は SUICA などの電子決済が使えなかったので、関西線の方が進んでいる。

余談であるが、こないだ 2024/4/1 に身延線に乗ったとき、料金箱の横に「ご面倒ですが、他のお客様で両替可能な方はご協力をお願いします」と書いてあって、人情を感じる。

さて、加佐登(かさど)駅に着いたので、一両目の前のドアで待機している運転手に、スマホを示し、駅の改札で出場記録をつけて出る。

前回は慌ただしく終電に乗り込んだので気付かなかったが、加佐登駅は日本の田舎を感じることができて、味わい深い。

庄野宿到着!

ここは小さい宿であるが、資料館もあって、楽しみに……。

本・日・閉・館!

しょんぼり。

……うん、まぁ、そうね。
次に来る楽しみが増えたということにしよう。

さて、庄野宿と亀山宿の間には、鈴鹿川と安楽川が複雑に分岐して流れており、昔から水害が多かったようだ。
そのためか「川俣神社」という名の神社がいくつもある。


「女人堤防碑」では、苦労を忍ばせる歴史が刻んであった。
曰く、川の氾濫に対して堤を築く申請をしたが、下流の水害を恐れた神戸藩が許可をしなかった。
許可を得ずに堤防を築くと、処罰の対象となるが、主要の働き手である男たちが打ち首になっては、村が滅びてしまう。
そこで、女のみで築き上げた堤防が、女人堤防である。
なお、堤防完成後、彼女たちが罰されることはなく、逆に褒賞を与えられたという。

川を越えたところに、地福寺という寺があるが、その近くで県道641号に一瞬合流し、すぐ田んぼ道となる。
ここは、僕が参考にしている「ちゃんと歩ける東海道五十三次(八木牧夫著)」では、県道641号を歩き、海禅寺踏切で関西線を渡ることになっているが、道路の「旧東海道」という標識に従うと、井田川踏切で渡ることになる。

迷ったけれど、後者に従った。

程なく井田川駅に着く。
時刻は午後二時。いい加減何か食おう。
ここに至るまで、食事のできる店がなかったのだ。

国道沿いのセルフうどん屋、甚八にて、ゑびすたまりうどん550円を食す。


伊勢うどん、とは書いてあったが、いわゆるクタクタの太く柔らかいうどんではなく、割としっかり腰があり、「伊勢うどんは不味い」と思っている層にも美味しく召し上がって頂けるのではあるまいか。
甚八は東京の本郷にも支店があるが、そちらは更に腰があるらしい。

たまり醤油のたれを絡めるところは伊勢うどんぽい。
小麦は鈴鹿産の「あやひかり」を使用。
アミロースが少ないため、モチモチした食感で、伊勢うどんにしばしば使用されている品種の麦である。
店内で製麺しており、時間帯によっては見ることもできるようだ。

甚八:★★★☆☆(結構美味しいと思うので、3.5 寄り。周囲に飲食店がほとんどないので、近くに行ったらまた寄る気はするけれど、うどん的に伊勢うどん感が低めなのと、店構えがファミレスっぽいので、ややオススメしづらい。伊勢神宮近くの人気の伊勢うどんでも、割と腰のある系列もあるので、ただの好み)

そのあとは、ダラダラと歩き、たまに参拝。

亀山宿は、亀山城の西之丸外堀あたりが面白いかも。

布氣皇舘太(ふけこうたつだい)神社は、延喜式神名帳には、垂仁天皇十八年(紀元前12年)にはあったと書いてある。


その時代になると、もはや神話の世界だと思うけれど、参道にはタダモノならぬ空気が漂っていて、背筋がしゃんと伸びてくる。

「境内は 心静まる 秘密基地 三重県神社庁鈴亀地区」

延喜式自体、10世紀初めに朝廷のご意向をまとめたものなので、神名帳に載っている、いわゆる「式内社(しきないしゃ)」が、載っていない「式外社(しきげしゃ)」より「上」なのかと言われると「当時の朝廷はそのように考えた」としか言いようは無いのだけれど、長いあいだ誰かが大事にしてきたものは、どんなものであれ、僕は価値があると思う。

左に鈴鹿川、右に田んぼを見ながらひたすら歩く。
久し振りに歩いたので、足が痛い。
天気は曇り、時ににわか雨。

そしてついに関宿到着!

ここは重要伝統的建造物群保存地区なので、かなり趣のある町並みなのだ。しかも、そこまで有名でないので、観光客はほとんどいない。
実際、車はそれなりに行き交っているが、人っ子ひとり、すれ違わない。

最初は時代劇のセットのような雰囲気を楽しんで歩いていたが、暗い町は意外と大きく、歩けど歩けど、開いている店がない。

嫌な予感がしてきた。

そう、人が歩いていないということは、飯を食う場所がないということだ。

そして本日の宿は素泊まりである。

「こんばんはー」
「はい、どーもー」

古民家を利用したゲストハウス「石垣屋」に到着。
声をかけると、奥の方から、四十路半ばほどの男性が出てきた。

石垣家は、元は肥料商だったけれど、第二次世界大戦中に母屋の半分で診療所をしていたとかで、その名残がそこかしこに残っている。
案内をしてくれた T さんは、大阪からの移住者で、元の持ち主からここを借りて、ゲストハウスを運営しているようだ。

僕は今回、離れというか、茶室を借りたのだけれど、これが、非常にイイ。すこぶるヨロシイ。
障子を開け放し、庭を眺めながらぼんやりしていると、なんだか、もうずっとここに住んでいるような気分になってくる。

……それはそれとして、飯、どうしよう。
町の中には何もなかったぞ。

T さんに聞いて、歩いて20分くらいのところの国道沿いの焼肉屋「びっくりや」に行くことにした。

否も応もない。
他の選択肢は、反対方向に15分ほど歩いて、スーパーで弁当か食材を買うしかないのだ。
(石垣屋は台所は使える)


「紙に書いてねー」

びっくりやの広々とした店内に入ると、寡黙なじいさんに席に通され、メモというよりも、小さく切った白い紙と、ちびた鉛筆を渡される。
メニューは渡されず、壁に貼った紙片を見るのみ。
何だろう、この、愛おしい不便さ。

取り敢えず、瓶ビール570円、牛タン1200円と、牛カルビ1000円、牛ハラミ1000円、キムチ220円を頼む。
「酒二級360円」も気になるが……。二級酒って久しぶりに聞いたよ。

まず、牛タン到来。
店で切っているのだろうか、不均一な厚さのタンは、基本的に厚い。
それを、コテを使って、鉄板で焼く。
すぐ焼き付いてしまうので、始めはこまめに手を入れる。

どん、と置かれたポッカレモンとコショウをぶっかけて食う。
肉を食ってる、という満足感が強い。

いい。
とてもいい。
非常によろしい。
脳内麻薬がビシャビシャに放出されている気がする。

この店は、どうも四兄弟で営んでいて、テレビにも出ているようだ。
https://locipo.jp/media/gourmet/entry-495.html

「ん」

次男さんが黙って置いたものは、恐らく、カルビとハラミであるが、大量のキャベツが混ざっている。

周りの席を見回すと、鉄板の上にごっそり乗せて、肉野菜炒めを作るのが、この店の流儀のようだ。

何だか楽しくなってきた。
中々うまいし、キャベツで嵩マシされて、食いでもある。

宿が素泊まりで、近くのコンビニまで歩いて30分かかるので、明日の朝食用に、ホルモン焼きと飯、漬物を購入。

びっくりや:★★★☆☆(個人的には大変好きだけれど、東海道の旅というテーマとはそぐわないので、やや低めに評価)

帰り道に酒屋の自販機で、地酒「鈴鹿(すゞしか)」を購入。

折角なので、母屋の談話室に上がり込み、すゞしかを片手に、T さんと語りこむ。
彼自身、元は旅人だったようで、10年以上前にここらを旅していたときに、ひょんなきっかけで住むようになった話など、なかなか面白い。

T さんに言われて気づいたのだが、リニア三重県駅は、亀山に出来るのだ。現在のところ2037年予定。

こんな何もないところによく、と思ったが、大してメリットがないので,県内でどこも手を上げず、位置的に程よかったので、決まったという説もある。

そのせいで、江戸の雰囲気を残す関宿も、外国人を含めた外様の買収が始まっているらしい。

「値段が高い小洒落たカフェなんて、地元の人間は誰も行かないんですけどね」

静かな町並みを気に入って住んだというTさんは、何だか寂しげであった。
かと言って、人がいなければ、歴史を残すことは難しい。
実際、山車の担ぎ手は、地元だけでは賄いきれず、外からひとを呼び寄せて祭りを盛り上げているようだ。

伝統保存と、住みやすさ。
歴史を持つ町が共通にもつ問題を、ここ、関宿も抱えていた。
リニアの計画が進んでいるだけに、その答えを出す期限は、迫っている。

外では雨が、しとしとと音を立てている。

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