20210417 江戸の中山道は賑わいを見せる - 2/3

【中山道: 巣鴨~板橋宿 (平尾宿・仲宿・上宿)~戸田橋】

1/3 はこちら.3/3 はこちら.資料編はこちら


もんぺの店.


すがもんの郵便ポスト.

生涯学習施設「中山道待夢」のすがもんのおしり.

巣鴨の商店街に興味は尽きず,だいぶ時間をとってしまった.

マーケットは好物です.


猿田彦大神庚申堂をすぎて更に進むと,都電荒川線庚申塚駅.路面電車は,なぜこんなにも旅人の心を揺り動かすのか.

それから旧中山道の標識.いいじゃないの,いいじゃないの.旅だよ,旅!東京の中だって,旅は出来るんだよ!

そうこうするうち平尾宿の表示が.

江戸四宿のひとつ,板橋宿の始まりである.


「ちゃんと歩ける中山道六十九次」によれば,江戸四宿の中で板橋宿の扱いは悪かったそうで,「江戸の四口に娼家あり.品川を一,内藤新宿をニ,千手を三,板橋を四」と書かれている.出迎えが「板橋と聞いて迎えが二人減り」と揶揄されているとも.


でも,板橋宿は中々よかった.板橋宿は,平尾宿・仲宿・上宿の三宿で構成されているのだけれど,本陣 (貴人の宿) や脇本陣 (少し格下の宿) などがきちんと案内され,歩きがいがある.

まぁ,看板があるだけなのだけれど,街道を歩いていると,どこに本陣があったのかすら分からないところも多々あるので,看板があるだけで,嬉しくなろうというもの.


ところどころにうさぎのキャラクターの付いた,板橋宿の看板.実在の商店街の店を描いたシールのガチャガチャが染み渡る.

国道 17 号線に突き当たったところで向こうに渡り,東光寺へ.ところが今まさに門が閉じたところ!ショック!今回,御朱印なしか?!


あとは道を急ぐのみか,と腹を括り,歩き出そうとしたが,すぐ側にある観明寺の門が開いている.これは……ひょっとして……?

お参りをしてから,寺務所のチャイムをおずおずと押すと,奥から声が.

「今開けますねーー」

ひょい,と覗いたのは足首まである長いスカートの黒装束の女性.歳の頃は 60 というところか.


時間を過ぎているんじゃないかな,と恐縮したが,造作ない様子で御朱印帳を受け取り,どれどれ,と首から下げた紫ガラスの老眼鏡をかけて御朱印の空きページを確認した.


御朱印帳を返してくれる時「これからどこか行くんですか?」と聞かれたので,素直に「旧中山道を歩いているんです」というと,「あら,お寺を巡っているわけじゃないんですね~」と残念なのか伺いかねる返事をしたあと「ちょっと待っててくださいね」と言って,奥の方から何か出してきた.


「これ,板橋の地図ですけれど」


観光客向けにも,住民向けにも使えそうな地図を頂いた.親切な方だ.

仲宿の入り口は旧中山道仲宿という名前の信号.ここらの地名が仲宿というのだ.江戸時代と現代とのつながりを感じさせて,心が躍る.

仲宿と上宿の間にあるのが,板橋の地名の由来となる,板橋という橋.石神井川という小さい川の上に渡されている.

更に歩を進めると,環七と交差するところで板橋宿は終了し,ここからしばらくはあまり観るものもない.

さらに行くと,国道 17 号線と合流するので,そのまま歩く.

周囲がとっぷりと暮れ始めた頃,志村の一里塚に着いた.現存する一里塚は都内では北区とここの二つのみ.


家康が江戸から一里ごとに設けた一里塚は,文字通り小山のように土を盛った塚である.道の両脇に造られていたが,対で残っているのは珍しい.以前茅ヶ崎で現存する一里塚を見たが,あれも一基のみだった.


この一里塚は国の史跡に指定されている.

国道 17 号を挟んであるだけあって,二つの塚は結構距離がある.かつての街道の太さを考えると,道の両脇というには,離れ過ぎているのではないかと思ったが,板橋区のウェブサイトによれば元々そういうものだったらしい. 

一里塚から数分歩くと,清水坂という坂に出る.かつては日本橋を発ち,中山道の最初の難関と言われていたそうだ.今歩いてみると,そこまで急な坂ではない.整地したのだろうか.



にほんブログ村: クリックお願いします!
にほんブログ村 旅行ブログ 街道・古道へ

0 件のコメント

Random Posts

3/random/post-list