20200201 アンコールワットは彫刻に包まれている

今日は完全なオフのため,同僚たちとアンコールワットの寺院群に行くことにした.ホテルでガイドと運転手を 89 ドルで雇い,まずアンコールワットに向かった.

ガイドはよく喋る男で,やや情報量が過多な印象である.多すぎる情報は却って頭に残らないと思うのだが,僕の頭の出来の問題だろうか.


遺跡の周囲には野生の動物が多く,鹿や象がいるのだという.
僕が見かけたのは猿くらいだったが.


シェムリアップの寺院群は,溶岩と砂岩で出来ており,溶岩が土台に,彫刻のしやすい砂岩が上部に使われているという.アンコールワットを囲む堀は,溶岩に水分を与えることで,強度を増しているのだという.
これは一緒に来ていた設計士が解説してくれた.「溶岩の中を通った水が,溶岩と砂岩の間の砂に染み込み,水の上に浮かせるようにしているのだと思いますよ.そうすると建物全体を支えることができるんです」
東京湾周辺の軟弱地盤の上に低層の建物を建てるときも使われている手法だという.

石のそこそこに空いている穴は,象が運ぶために杭を刺した跡だそうだ.


アンコールワットは 1963-70 年はベトナム戦争の余波による米軍の空爆で,1970-75 年はシアヌークによる内戦で,1975-79 年はポルポト派による侵攻で,アンコールワットは破壊されたのだとガイドは言った.複雑なカンボジアの歴史をあっさりと表現する.

シェムリアップの寺院群は,時代によってヒンドゥーと仏教が混じっているが,アンコールワットはヒンドゥーである.ブッダのみを崇拝する仏教に比べ,ヒンドゥーは汎神論なので,彫刻にも影響してくる.

クメール語のアンコール (街) ワット (寺) はサンスクリット語ではボロン・ビシュヌ・ロカというそうだ.
街といっても人が住んだわけではなく,瞑想の場所である.

アンコールワットには 1800 の踊り子が彫られているが,これはたった一人の女王のためのものであった.



歩きながら,側の皮が剥けた木の表面を枝で擦り,我々に示した.レジンだという.これに火を点けて灯りとしたのだという.正に樹脂である.


アンコールワットの裏側,つまり東側に至り,ガイドは塔を指差した.中央の塔は meru (メル山: 須弥山), 世界の中心を意味する.それを囲む四つの塔は地水火風の四元素を示す.

更に歩いて角度を変えると 3 つの塔のみが見えるが,それぞれ牛に乗ったシバ神 (破壊),ガルーダのヴィシュヌ神 (維持), 蓮の上のブラフマー (創造) を意味する.それぞれの乗り物は,彫刻を鑑賞する上で神を見分ける役に立つ.


アンコールワットの中央の塔の高さは 65 m, 基礎の幅も 65 m.

仏教の暦に従い,約 1 週に一度休みがあり,その日は中央の塔には登れない.残念ながら今日はその日にあたる.

アンコールワットは三段になっているが,下段は一般市民,中段は役人,上段は王族のためのものであった.上段は 100% 彫刻が施されているが,中段は 70%, 下段は 20% しか装飾が出来上がっていない.

それから第一回廊 (一番外側の回廊) を見た.
海の意匠の上に蛇を持った人々がいるこれはアソラ (阿修羅: 悪魔) とデーバ (神) との戦いで,中央の山を奪い合っているのだという.山の上にはヴィシュヌ神がおり,山からはアムラタ (聖なる水) が湧き出している.
アソラの兜は菱のような形をしているが,デーバの兜は三角形なので見分けることができる.



一般の人も描かれているが,耳が長いのは長生きを願ってのものだという.


僧侶と王族の彫刻があるところに孔雀の舞が描かれている.孔雀の舞は今日見られるアプサラダンスの中でも見ることが出来る.当時は僧侶は王族よりも身分が上だった.


タイの人々が首を切ったという仏像も見た.その数 3000. 金で出来ていたため,盗みやすい首が狙われたのだそうだ.


西側の出口のところには 4 つのプールがある.人々はここで罪を洗い清めてから参拝したのだという.
建物の外も含めてプールが 8, 図書館は 6 棟ある.


外は 33 度.歩いているとじんわりと汗ばんでくる.
アンコールワットを囲む壁の西側には,5 つの正門があり,南から順に,象,一般人,王族,役人,僧侶だったという.身分が高かったという割に,僧侶が端の門を使っていたのが面白い.
正門が西なのは,ヴィシュヌ神の方角だからだそうだ.


少し長くなったので,今日はここで一旦日記を切ろうと思う.

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