20200201 遺跡を照らす夕日は賑やかな夜を導く
ランチは Tarohm Khmer Food という店で Lok Lak を食べた.Lok Lak は普通はサイコロステーキなのだが,この店の Lok Lak は肉の切り身を炒めたものに卵焼きを乗せたものの様だ.生の玉ねぎも入っている.僕は鶏を選んだ.カンボジアの料理はしばしば肉が選べる.添えてある炒飯とともにチープな味であるが,甘みがかっていて疲れた体に染み渡る.
午後はまずタ・プロムに行った.タ・プロムという名前は「僧侶の祖父」を意味するが,寺自体はジャヤーヴァルマン 7 世の母親のために建てられたものである.
王が 39 歳のときに即位したために,39 の寺を建てたが,現存するのは 12 基のみである.
タ・プロムの寺に向かう参道に楽団がいる.内戦により障害を負った人々によるものだ.小銭を渡し,写真を撮らせてもらった.
アンコール遺跡群の新しい寺は塔があるけれども,古い寺は平らだ,とガイドが説明する.
後でネットで調べると堂山型と平地型という言葉が出てくるが,どの寺を堂山型に分類するのか分からない.
バイヨンを某旅行会社のウェブサイトでは平地型と書いているが,ある論文では堂山型と書いている.素直に考えて後者が正しいだろう.ちなみにバイヨンもタ・プロムも塔がある.
タ・プロムは仏教時代に建てられたので,入り口は東.ブッダが悟りを開いたときに向いていた方角だ.
ガイドが彫刻を指差して言う.仏教に基づいて作られた寺であるが,ヒンドゥー時代に彫刻が作り替えられてしまった.ブッダは膝の上で手を組んでいるが,ヒンドゥーでは胸の前で手を合わせている.更にブッダでは見られなかった長い髭が足されている.
39 の寺のうち 1 つだけが母の意匠で,残りの 38 個はブッダをモチーフにしている.しかし,ヒンドゥー時代に 38 の寺は,仏像を撤去され,変わりにリンガ (男根) とユニ (女陰) を据え付けられた.
タ・プロムは絡みつく木で有名だけれども,音の響く塔や,金やダイヤを盗掘されて穴だらけになった母の塔,トリケラトプスに見える彫刻など,見所は多い.音の響く塔は,ドーム型にでもなっているのかと思っていたら,天井が開いていたのが意外であった.壁の前に立ち胸をドンと叩くと,いい音で響いた.
随所で spung という木が寺を包み込んでいる.ある場所では構造を破壊し,ある場所ではそれ以上崩れないよう形を保っている.寺にとって,いいとも悪いとも言えない存在である.
タ・プロムを後にして,バイヨンへ向かった.バイヨンの含まれるアンコール・トムは,大きな(トム) 街 (アンコール) という意味で,瞑想所であったアンコールワットとは違って実際に 100 万人が住んでいたのだという.中には王宮もあったが,木製だったため,今は何も残っていない.
アンコール・トムも仏教時代の遺跡.周りの堀は街を守るためのもので,深さは 7 m, 24 時間兵士が守っていたという.
彫刻にはジャワ (インドネシア) との戦いが刻まれている.カンボジアの勝利に終わったので,今も寺が残っているようだ.兜を被っているのがジャワ,耳が長いのがカンボジア.
輿で運ばれる王族.小さすぎる気がするが,中に王族がいるのだという.
女性兵士のみの兵隊も刻まれている.
無数の顔の並ぶバイヨン.
外に出たところでどのように石を移動したのか見せて貰った.
てこで持ち上げた石を,左右に動かしたのだという.石の表面には粉がかけられていた.
夕方になり,夕陽で有名なプノン・バケンへ.頂上の寺院は 300 人で人数を制限していたため,列の後方では諦めて帰る人々もいた.我々も登れないのではないかと思ったが,幸い上から夕陽を眺めることができた.と言っても西側には遺跡らしいものはなく,見晴らしがよい程度である.橙色の空が茜色に染まるのを眺め,満足して降りた.
夕食はパブストリートという賑やかな通りに行った.ネオンサインが昼の様に道を照らしている.
Design Restaurant という店は和食とグリルの店と書いてあったが,クメール料理も置いてある.頼んだカレーや甘酸っぱい炒め物は,優しい味でうまかった.
食後は Temple club というバーに入った.派手なライトニングと響き渡る重低音に仏像が囲まれている.入り口で鞄の中をライトを点けて確認され,水を取り上げられた.更に非接触型の温度計で体温を測られた.慎重さは評価できる.
疲れた頭を光と音の中に漂わせる.僕は野暮天なので,リズムを取ったりはしないのだが,大音響の響きはもの思いに耽るのに適している.日本に置いてきた,面倒な人間関係のことなど思い出す.あの野郎,細かいことぬかしやがって.がたがたうるせえんだよ.糞っ.
一通り文句を言ったところで,そう思っている自分が一番細かいのだと苦笑しながら,シェムリアップの最後の夜は更けていった.
午後はまずタ・プロムに行った.タ・プロムという名前は「僧侶の祖父」を意味するが,寺自体はジャヤーヴァルマン 7 世の母親のために建てられたものである.
王が 39 歳のときに即位したために,39 の寺を建てたが,現存するのは 12 基のみである.
タ・プロムの寺に向かう参道に楽団がいる.内戦により障害を負った人々によるものだ.小銭を渡し,写真を撮らせてもらった.
アンコール遺跡群の新しい寺は塔があるけれども,古い寺は平らだ,とガイドが説明する.
後でネットで調べると堂山型と平地型という言葉が出てくるが,どの寺を堂山型に分類するのか分からない.
バイヨンを某旅行会社のウェブサイトでは平地型と書いているが,ある論文では堂山型と書いている.素直に考えて後者が正しいだろう.ちなみにバイヨンもタ・プロムも塔がある.
タ・プロムは仏教時代に建てられたので,入り口は東.ブッダが悟りを開いたときに向いていた方角だ.
ガイドが彫刻を指差して言う.仏教に基づいて作られた寺であるが,ヒンドゥー時代に彫刻が作り替えられてしまった.ブッダは膝の上で手を組んでいるが,ヒンドゥーでは胸の前で手を合わせている.更にブッダでは見られなかった長い髭が足されている.
39 の寺のうち 1 つだけが母の意匠で,残りの 38 個はブッダをモチーフにしている.しかし,ヒンドゥー時代に 38 の寺は,仏像を撤去され,変わりにリンガ (男根) とユニ (女陰) を据え付けられた.
タ・プロムは絡みつく木で有名だけれども,音の響く塔や,金やダイヤを盗掘されて穴だらけになった母の塔,トリケラトプスに見える彫刻など,見所は多い.音の響く塔は,ドーム型にでもなっているのかと思っていたら,天井が開いていたのが意外であった.壁の前に立ち胸をドンと叩くと,いい音で響いた.
随所で spung という木が寺を包み込んでいる.ある場所では構造を破壊し,ある場所ではそれ以上崩れないよう形を保っている.寺にとって,いいとも悪いとも言えない存在である.
タ・プロムを後にして,バイヨンへ向かった.バイヨンの含まれるアンコール・トムは,大きな(トム) 街 (アンコール) という意味で,瞑想所であったアンコールワットとは違って実際に 100 万人が住んでいたのだという.中には王宮もあったが,木製だったため,今は何も残っていない.
アンコール・トムも仏教時代の遺跡.周りの堀は街を守るためのもので,深さは 7 m, 24 時間兵士が守っていたという.
彫刻にはジャワ (インドネシア) との戦いが刻まれている.カンボジアの勝利に終わったので,今も寺が残っているようだ.兜を被っているのがジャワ,耳が長いのがカンボジア.
輿で運ばれる王族.小さすぎる気がするが,中に王族がいるのだという.
女性兵士のみの兵隊も刻まれている.
無数の顔の並ぶバイヨン.
外に出たところでどのように石を移動したのか見せて貰った.
てこで持ち上げた石を,左右に動かしたのだという.石の表面には粉がかけられていた.
夕方になり,夕陽で有名なプノン・バケンへ.頂上の寺院は 300 人で人数を制限していたため,列の後方では諦めて帰る人々もいた.我々も登れないのではないかと思ったが,幸い上から夕陽を眺めることができた.と言っても西側には遺跡らしいものはなく,見晴らしがよい程度である.橙色の空が茜色に染まるのを眺め,満足して降りた.
夕食はパブストリートという賑やかな通りに行った.ネオンサインが昼の様に道を照らしている.
Design Restaurant という店は和食とグリルの店と書いてあったが,クメール料理も置いてある.頼んだカレーや甘酸っぱい炒め物は,優しい味でうまかった.
食後は Temple club というバーに入った.派手なライトニングと響き渡る重低音に仏像が囲まれている.入り口で鞄の中をライトを点けて確認され,水を取り上げられた.更に非接触型の温度計で体温を測られた.慎重さは評価できる.
疲れた頭を光と音の中に漂わせる.僕は野暮天なので,リズムを取ったりはしないのだが,大音響の響きはもの思いに耽るのに適している.日本に置いてきた,面倒な人間関係のことなど思い出す.あの野郎,細かいことぬかしやがって.がたがたうるせえんだよ.糞っ.
一通り文句を言ったところで,そう思っている自分が一番細かいのだと苦笑しながら,シェムリアップの最後の夜は更けていった.
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