20131026 リベルダーデ通りの骨董は魅惑的に誘う
【ポルトガル,リスボン】
朝食でホテルへの評価はだいぶ上がった.目の前で焼いているパンも,オリーブオイルと塩とハーブをかけたトマトもシンプルでうまい.朝っぱらから数種類並ぶ焼き菓子からは,焼きプリンと Pao de lo (スフレのようにふわふわしたカステラの原形) を頂き幸せな気分になる.

自分でも自分の食い意地に驚くことがあるが,神が与えたもうた才能の一つだと開き直っている.

ポンバル侯爵広場から南南東に伸びる,リスボン一の大通り,リベルダーデ通りを南下した.土曜日だからか,蚤の市をやっていて,歩くだけで楽しい.
大通りから東に走るケーブルカー,ラブラ線は,観光のためでなく,生活の足のようだ.「7つの坂を持つ」と言われるリスボンは,坂が多く,高齢者には住みづらいかもしれない.
バカリャウ (棒鱈) のパン粉焼きとヒヨコ豆のサラダを購入.レシートを見て気づいたが,サラダにもバカリャウが.ビールはポルトガルでメジャーと思しき二銘柄,Super Bock とSangres とした.


ケーブルカーの上すぐに,ヴァンセスラウ・デ・モラエスの生家がある.そもそも 1929年に徳島で亡くなったこの作家の本を読んでポルトガルに興味を持ったのだ.

こんな小さな家が,作家の心であんなにも大きな位置を占めていたのかと思うと,ヒトの思いの不思議さに心を打たれる.

昼食はミシュラン始め,多くのガイドブックに選定されたシーフードレストラン,Gambrinus で頂いた.店頭の魚がうまそうだったのだ.
カウンター席もあるが,折角なので,テーブル席にした.重厚な調度と,それに揃えたような客層.5歳くらいと思しき子供もいるが,良く教育されていて大人しい.黒い襟で臙脂色のジャケットを着た給仕の嫌味にならないギリギリの接客.給仕の他に黒服が二人も部屋の隅で目を光らせている.シルバーはクリストフル.
パンが三種類も出てくる.ポルトガルで良く見かける Vienhinha ヴィエニーニャ (ウィーン風.あまり膨らんでいない生地を丸めただけのようなシンプルなパン),バゲットを薄切りにしてカリカリに焼いたようなパン,ライ麦パンを同じく薄切りにして焼き,溶かしバターをかけたもの.
土地の白の微発砲ワイン,Aveleda.
メインは Arroz de Marisco アローシュ・デ・マリシュコ (シーフードリゾット) を頂いた.エビとアサリ,イサキのような魚が入っていて,32ユーロで食べきれないほどの量.ちなみにコリアンダーは乗っておらず,日本人にも食べやすいと思う.二人で一皿でも十分な量.
サイフォンで淹れた珈琲で締め.雰囲気が合うならお勧めの店である.カウンター席もあるが,折角なので,テーブル席にした.重厚な調度と,それに揃えたような客層.5歳くらいと思しき子供もいるが,良く教育されていて大人しい.黒い襟で臙脂色のジャケットを着た給仕の嫌味にならないギリギリの接客.給仕の他に黒服が二人も部屋の隅で目を光らせている.シルバーはクリストフル.
パンが三種類も出てくる.ポルトガルで良く見かける Vienhinha ヴィエニーニャ (ウィーン風.あまり膨らんでいない生地を丸めただけのようなシンプルなパン),バゲットを薄切りにしてカリカリに焼いたようなパン,ライ麦パンを同じく薄切りにして焼き,溶かしバターをかけたもの.
土地の白の微発砲ワイン,Aveleda.
メインは Arroz de Marisco アローシュ・デ・マリシュコ (シーフードリゾット) を頂いた.エビとアサリ,イサキのような魚が入っていて,32ユーロで食べきれないほどの量.ちなみにコリアンダーは乗っておらず,日本人にも食べやすいと思う.二人で一皿でも十分な量.
外に出ると,午前中曇っていた空は真っ青で,白い壁が輝いている.青い空を曇らせるように所々で立つ煙は,栗を焼いているようだ.
リスボンで一番賑やかというロシオ広場は人でごった返している.車も多く,エネルギッシュである.
広場の西側,往路通りが何やら騒がしいので覗いてみると,デモをやっているようだ."Troika" と書かれたプラカードが目立つ.
そういえば,今回の旅で初めてポルトガルの近代史を勉強したのだが,1910年に王政が終焉してポルトガル共和国が成立したが,1925年より軍事政権のために共和制が崩壊し,1932年から独裁政権が敷かれていたのである.これが終焉するのは1974年のカーネーション革命であり,最近の話なのだ.
2007年のリスボン条約 (欧州連合の基本条約を修正する条約) が署名されたことから,ポルトガルはヨーロッパ諸国と足を揃えているように思ったのだが,必ずしもそうではない.いや,そもそも EU 自体,そこまで安定したものではないということなのかもしれないが.
ポルトガルは,2011年6月に社会民主党が民衆党と連立政権を樹立する."Troika" は,前政権時に欧州委員会,欧州中央銀行,国際通貨基金との間で金融支援の条件として交わされたトロイカ (三者) 合意を意味し,コエーリョ現政権はこの合意の履行を通じ,経済危機克服を目指している.
リスボンで一番賑やかというロシオ広場は人でごった返している.車も多く,エネルギッシュである.
広場の西側,往路通りが何やら騒がしいので覗いてみると,デモをやっているようだ."Troika" と書かれたプラカードが目立つ.
そういえば,今回の旅で初めてポルトガルの近代史を勉強したのだが,1910年に王政が終焉してポルトガル共和国が成立したが,1925年より軍事政権のために共和制が崩壊し,1932年から独裁政権が敷かれていたのである.これが終焉するのは1974年のカーネーション革命であり,最近の話なのだ.
2007年のリスボン条約 (欧州連合の基本条約を修正する条約) が署名されたことから,ポルトガルはヨーロッパ諸国と足を揃えているように思ったのだが,必ずしもそうではない.いや,そもそも EU 自体,そこまで安定したものではないということなのかもしれないが.
ポルトガルは,2011年6月に社会民主党が民衆党と連立政権を樹立する."Troika" は,前政権時に欧州委員会,欧州中央銀行,国際通貨基金との間で金融支援の条件として交わされたトロイカ (三者) 合意を意味し,コエーリョ現政権はこの合意の履行を通じ,経済危機克服を目指している.
デモ隊が広場の横でとどまっている間に,オウロ通りをテージョ川へ向った.
ポルトガルはアズレージョと呼ばれる装飾タイルが有名と聞いたが,実際街並みのあちこちにタイル壁の家が彩りを与えている.白地に藍色,ないし薄い緑で柄を書いたものが多いが,タイル全体が孔雀色があったり,数色使ったカラフルなものがあったり,バリエーションがあって飽きない.
ポルトガルはアズレージョと呼ばれる装飾タイルが有名と聞いたが,実際街並みのあちこちにタイル壁の家が彩りを与えている.白地に藍色,ないし薄い緑で柄を書いたものが多いが,タイル全体が孔雀色があったり,数色使ったカラフルなものがあったり,バリエーションがあって飽きない.


テージョ川は川と言っても河口付近で大きく川幅を広げ,広いところでは 10 km 以上にもなる.川面に立つ波を見ていると,入江のように見える.しかし川と呼ばれているからには流れは海に向かっているのだろう.河口にあたるベレン付近で再び川幅が狭くなっているので,逆流を起こさないのかもしれない.
ベレンにはポルトガルの大航海時代の創始者,エンリケ航海王子を記念する "発見のモニュメント" がある.
地図を眺めていると,テージョ川の特殊な形が作る天然の船着場が,大航海の一助となったのだろうかと思えてきた.
ベレンにはポルトガルの大航海時代の創始者,エンリケ航海王子を記念する "発見のモニュメント" がある.
地図を眺めていると,テージョ川の特殊な形が作る天然の船着場が,大航海の一助となったのだろうかと思えてきた.

ぼんやり川を眺めていたが,日差しを遮るもののない川縁は,余りに暑い.コメルシオ広場で開催されているコンサートなど聞いてみたが,根をあげて歩き出した.
しばらく川に沿って西に歩くと,カイス・ド・ソドレという小さい広場にでる.ここから北上し,バイロ・アルト地区に向かった.
しばらく川に沿って西に歩くと,カイス・ド・ソドレという小さい広場にでる.ここから北上し,バイロ・アルト地区に向かった.

ポルトガル最大の詩人,カモンイスを記念する広場で右折し,ガレット通りに入った.ここはリスボンの一等地であるらしい.
空中遊泳のパフォーマンスをする大道芸人がいる.
空中遊泳のパフォーマンスをする大道芸人がいる.
1584年に天正遣欧少年使節が滞在したというサン・ロケ教会に入った.ペストと病気から守ってくれる守護聖人,サン・ロケ (聖ルカ).イタリアバロック様式の荘厳な内装を眺めていると,16 世紀にこれを見た少年らの圧倒された様を想像する.

14世紀に建てられ,1755 年の地震で倒壊したカルモ教会は生々しさが削ぎ落とされ,気楽である.
その横を覗くと,サンタ・ジュスタのエレベーターの上階に繋がっている.
ガイドブックを読み,なぜ街中に突然エレベーターが単独で立っているのか気になっていたのだが,坂だらけのリスボンを見ていると,納得がいく.
カルモ教会の裏手は崖になっているのだが,その上下を繋げるエレベーターは,乗るだけで 1.4 ユーロも取られるので,乗るほどのものかと見に行って見た.エレベーターのバイロ・アルト側口までは無料で行ける.
その横を覗くと,サンタ・ジュスタのエレベーターの上階に繋がっている.
ガイドブックを読み,なぜ街中に突然エレベーターが単独で立っているのか気になっていたのだが,坂だらけのリスボンを見ていると,納得がいく.
カルモ教会の裏手は崖になっているのだが,その上下を繋げるエレベーターは,乗るだけで 1.4 ユーロも取られるので,乗るほどのものかと見に行って見た.エレベーターのバイロ・アルト側口までは無料で行ける.

金網が張り巡らされているが,リスボンの街を見渡すことができる.ちなみにここから螺旋階段を登るとカフェがあるらしいが,階段の下でチップを取る人々がいて,何となく行くのをやめてしまった.時々自分がケチだと思う.

疲れてきたのでロシオ駅の横を抜けて,ロシオ広場に出た.広場から見る駅の入り口が馬蹄形であることに気付いた.
リベルダーデ通りをホテルに帰って行ったが,行きの元気が信じられないほどに足が重い.万歩計をみると,既に2万歩あるいている.疲れるはずである.
リベルダーデ通りをホテルに帰って行ったが,行きの元気が信じられないほどに足が重い.万歩計をみると,既に2万歩あるいている.疲れるはずである.

一旦ホテルで休んでから夕食のために出掛けた.
エドゥアルド7世公園の北側にあるデパート,El Corte Ingles で水を買ってから,と思ったが,エネルギーが切れてきたので,お惣菜を買って,ホテルで食べることにした.
マーケットは大抵好きなのだが,リスボンの魚の充実ぶりはさすがというべきか.
エドゥアルド7世公園の北側にあるデパート,El Corte Ingles で水を買ってから,と思ったが,エネルギーが切れてきたので,お惣菜を買って,ホテルで食べることにした.
マーケットは大抵好きなのだが,リスボンの魚の充実ぶりはさすがというべきか.

バカリャウ (棒鱈) のパン粉焼きとヒヨコ豆のサラダを購入.レシートを見て気づいたが,サラダにもバカリャウが.ビールはポルトガルでメジャーと思しき二銘柄,Super Bock とSangres とした.
結局今日は24000歩あるいた.おかげでリスボンの街が少し分かってきたように思う.短期の貧乏旅行にはセントロ (エドゥアルド7世公園周囲の新市街) が向かないことも分かった.
明日はリスボン第三の町,コインブラにいく予定である.
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