20131028 七百年の時を越えて学徒は集う

【ポルトガル,こいんぶら 】

朝から雨.流石に傘を持ってこないのは賭けが過ぎた.

傘のついでに薬局でイブプロフェンを購入.600 mg, 20 錠で 2 ユーロ.他にアスピリン,パラセタモール (アセトアミノフェン) など,日本でも馴染みのラインナップ.ただし日本ではイブプロフェンは通常 1 回 200 mg,一日量が 600 mg.


聖 Tiago 教会.

12 世紀の終わりに King D. Sancho I によって建てられたこの教会は,複数の変遷を経て 19 世紀にロマネスク様式が復刻された.

内部は装飾も少ないが,黒ずんだ穏やかな笑顔のマリア像の前には,今も静かに祈る信者達が跪いている.
派手な聖堂では気後れしてしまうが,その静かな祈りの場では,ささやかな祈りを唱えることができた.

世界が僕を受け容れ,僕が世界を受け容れられますように.


一転してサンタ・クルス修道院では,アズレージョが特徴的な豪華さに嘆息した.いや,させられたというべきか.
70代と思しきご婦人が,満面の笑顔で説明してくれたのだ.
「失礼ながら,マダム,僕はポルトガル語は全く…」

マダムはそのようなことはお気になさらないようなので,神妙に耳を傾けた.

1131年にアルフォンソ・エンリケスが建て,16 世紀にマヌエル1世が大改修をしている.マダムが指差しているのは祭壇の横に飾られたアルフォンソ王の墓であろう.

「アキロ (あれ)?」と訊くと,「スィン,スィン (そうそう)」と嬉しそうなので,礼を言って,手を合わせた.


修道院横のカフェは 1530 年に建てられた教会を利用しているとのことで,雨の日に相応しい静かな気持ちでコーヒーを頂いた.


丸いタルトの中身は濃厚なカスタードクリーム,三角のパイはナッツの入った卵餡.


時間を確認するため,駅へ向かう道の途中で Joao dos Leitoes なる子豚の丸焼きの店を発見.
旨そうな匂いがするし,地元民らしい客で混んでいる.
コインブラ近く,バイラーダの料理である Leitao Assado だと思うのだが,神に祈りを捧げたばかりの身,そのような食は許されますまい.
特に胃の中の二つのタルトに.


レコンキスタの時代に要塞を兼ねていたという旧カテドラルを通り,コインブラ大学へ向かった.まずは新図書館で入場券を購入.序職場のボスにポロシャツ.ハーバード大学やマサチューセッツ工科大学などのTシャツを集めているので,1290 年に端を発する大学もコレクションに加えて頂こう (但しリスボンで創立).

旧図書館,ジョアニア図書館は 1724 年に建てられたゴシック建築が見事だ.20 分に一度しか開けないドアと 2.11 m もの厚さの壁に守られた内部は,18-20 ℃に保たれ,紙の大敵である虫の発生を防いでいる.堅固なオークの内装や,虫を食らうコウモリも30 万冊の蔵書を守っているらしい.


地下には中国とポルトガルの関わりの歴史を物語る展示がなされていた.Martino Martini (1614-1661) の残した地図には,日本も描かれている."Celestial Empire" の祖となるちずである.
Kangxi 皇帝がJoao 5 世に送ったという王冠に収まった 12 kg の磁石 (1768) も見事である.
コインブラ大学の内部は大体写真が禁止なのが残念である.
更に下層には,講義に敬意を欠いた学生などの学生牢があり,わざとらしいまでに削れた壁が,豪華な上階とのコントラストを醸し出している.

鉾兵 halberdier と呼ばれる衛兵や,黒マントの学生姿がいて,観光地風であるが,普通の学生も屯している.


ラテン語を話すことが義務付けられていたという回廊に並ぶ教室では,実際に講義が行われている.


空き教室を覗いてみると,アズレージョが彩り,大変雰囲気がある.昨日 Fado の時に,学生が如何にコインブラを離れる時を惜しむか語ってくれたが,こんな美しい大学で過ごした学生時代は,さぞかし良い思い出になるだろう.

田舎の単科大学で黙々と勉強と弓道に勤しんだ僕の大学生活は,学生としては正しい気もするが,少々物足りない.

謁見の間のようなところで黒マントの女学生がプレゼンテーションを行っている.博士号を取った時を思い出すが,玉座に座っているのは学長だろうか.


半端な時間なので少し遠回りして駅に向かうことにした.広大な植物園の横を通り,水道橋を眺める.新カテドラルの横の道を北に抜けるとエレベーターで市場に行けるはずであったが,故障中であった.覗いてみたが,エレベーターというよりケーブルカーに見える.

細い道を辿る.道路名を表示するプレートもアズレージョなのが心憎い.

旧カテドラルのところにある焼き物屋が良い雰囲気だったので覗いてみた.


コインブラの南 2 km ほどのところにある,イベリア半島最大の都市遺跡,コニンブリガがある.更にその近くの町,コイデンシャで作られるコニンブリガ焼きは,昔の陶器を模している.
ローマ時代のものはなさそうであったが,15 世紀頃のアラブ風でカラフルなもの,17 世紀の東洋風の青一色のもの,18 世紀のロココ調のものなど,見ていて飽きない.
鍋敷きに使えそうな厚手のタイルを一枚入手.


ホテルに預けてあった荷物を受け取る時,チップを渡そうとしたら断られてしまった.リスボンで二泊した時,ホテルに置いて行ったチップも手付かずだった.ポルトガルはあまりチップの習慣がないというのは本当らしい.

駅に置いてあるパネル式の時刻表通りに電車は出発.ポルトガル語はスペイン語と同じく西イベリア語に属するそうだが,意外とスペインのマイペースな感じとは違う空気を感じる.

ポルトガルの人々はあまり大きな声を出さないし,電車の時間もびっくりするくらい正確だった.
もとはと言えば,イスラムの支配下であった 1094 年にフランス貴族のアンリがドウロ川南部を所領としたあたりが今のポルトガルの始まりのようだ.
アンリに次いで,息子エンリケスがポルトカリア伯爵を名乗り,1139 年にアルフォンソ I 世の名でポルトガルを建国.

1479 年に建国したスペインに横から圧力を受けつつ,大航海時代はインド航路の発見し,ゴア,マラッカ,セイロンを征服.広東に使節を派遣.

ここで日本史を見れば,1543 年に漂着したポルトガル人により種子島に鉄砲伝来.1549 年にザビエルが鹿児島に来航.


1580 年にスペイン王フェリペII世によりポルトガルはスペインに併合されるが,1640 年にジョアン IV 世により再独立.
1814-1820 年は英国軍がポルトガルの実権を握るも独立は維持.
1910 年に王政が崩壊し,現代のポルトガル共和国が成立する.

ポルトガルは独自の文化を育ててきたと言いたかっただけなのだが,歴史の復習になってしまった.

時間通り1時間7分で Porto Campanha 駅に着いた特急から,ローカル線で Sao Bento サオ・ベント駅に向かう.コインブラ駅から 13.20 ユーロ.

アズレージョの内装が美しい.

本日の宿は Grande Hotel de Paris.1888年に創業した,Logis (フランスのガイドブック.僕が使った限りでは結構いいホテルが多かった) にも載っているホテル.


部屋自体は狭く,52.20 ユーロはやや高いように感じるが,建物の色気を思えば,日本人としては泊まる価値があると思う.

ポルトといえば臓物料理 Tripas a Moda do Porto が有名である.
大航海時代の始まり,1415 年にエンリケ航海王子がモロッコのセウタの征服のためにポルトを拠点とした際,肉は海兵達の兵糧となった.そのため港町ポルトの人々には臓物しか残さず,ポルトの人は Tripeiros (臓物を食べる人) と呼ばれるのである.

サンタ・カタリーナ通りには魅惑的な店が幾つかならんでいる.
1921 年に創業されたアールヌーヴォー様式の老舗カフェ,マジェスティック.

アズレージョで飾られた玄関の Restaurante Escondidinho.

http://www.escondidinho.pt/default.aspx


行ったのはホテルのフロントに教えてもらった Ristaurante Tripeiro.
中に入ると,なるほど 100 席ほどの店はほぼ満員である.席に案内されるにも,トリパスが来るにも忍耐が要求されるが,モツ料理が好きならお勧めできる店.様々な部位を大きな白インゲンとハーブを効かせて煮込んだ Tripas a Moda do Porto が郷土料理.
住所: Rua Passos Manuel 195
電話: 222-005-886

ホテルに帰り,内部を探検してから,明日の宿探し.
Paris に延泊してもよかったのだが,部屋がそこまで素敵なわけではないので,色々なホテルに泊まりたいという欲の方が優ったのだ.

明日の夜はポルトワインを飲むつもりなので,ドウロ川近くの宿にした.
町の中心と川の対岸にあたるヴィラ・ノヴァ・デ・ガイアにワイナリーが集中しているのである.

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