20131208 三百五十年の時を超えて石仏は語る
信州リンゴなど頂き,知人宅を後にした.
連れて行ったパティシエの友人と,菓子屋をはしごした.
一軒目は,諏訪南IC 近く,原村にあるドイツ菓子の店,エルフェン.
森の中にある,と書いてあるのだが,実際,非常に行き辛いロケーションであった.
娘さんが菓子を作っていると,売り子の女性が教えてくれた.店を兼ねたログハウスは,夫の手によるものだという.
「窓を拭くため」に外せる階段の桟など,見るのも楽しい.
二件目は諏訪湖近くにある,NOUVEL梅林堂諏訪店で,「くるみやまびこ」を購入.生菓子も中々美味しそうだったが,さすがに食べきれないと思われたので,断念.

昼は同じく諏訪湖近くの蕎麦屋「八洲」で頂いた.天皇・皇后両陛下の御行幸の際に蕎麦を献上したという,由緒正しい店なのである.歴史のありそうな店の入口をくぐると,手前に囲炉裏席,奥に座敷がある.鹿と猪の剥製が雰囲気を盛り上げる.予約をすれば会食なども受け付けているそうだ.

置いてあったチラシで「高島飯 (たかしまはん)」なるものを知った.
諏訪圏青年会議所が,諏訪市四賀桑原にある仏法紹隆寺(高島藩祈願寺)に残されていた古文書を読み解き,かつて高島藩主が花見の際に食していたた料理を再現したものだという.2013年に作られたものだというので,知らないのも道理である.
諏訪圏青年会議所の HP で,22品目+追加項目に渡るレシピの載った PDF が見られる.
高島飯を食べられる店はいくつかあるが,各店舗とも,通常は一種類のみ提供している.
八洲では蕎麦切り入り冷汁がこれにあたるが,ざるそば,ワカサギの天ぷらに川エビの唐揚まで頂いた後だったので,遠慮しておいた.

折角諏訪まで来たので,諏訪大社を詣でることにした.
本宮と前宮のある上社,秋宮と春宮のある下社の二社四宮を有し,日本最古の神社ともいわれる.寅年と申年の6年ごとに行われる御柱祭で有名である.2010 年に行われたのでは,次は 2016 年に行われる.
諏訪大社の主神は建御名方神 (タケミナカタ)と八坂刀売神 (ヤサカトメ)という夫婦であるが,喧嘩をして怒って下社に行ってしまった妻に会うため,建御名方神が上社から湖を渡るという伝説がある.冬に凍った諏訪湖に亀裂が走る「御神渡り」は,ずいぶん子供の頃に見た気がする.
諏訪湖に向こう岸があるということすら想像できなかったときの話だ.
今回は時間的に諏訪湖南岸の上社は諦め,北岸の下社のみ行くことにした.
春宮の近くには,下馬橋という太鼓橋が,道路の真ん中に残されている.室町時代に造られた,下社最古の建造物.身分に関わらず,馬から下りて渡らなければならないという.
秋宮の周囲は少し古い建物があり,かつて中山道・甲州街道の宿場町として栄えた下諏訪宿の雰囲気が感じられるのだが,春宮周囲は戦後に建てられたと思しき普通の住宅街であり,その中にぽつんと残された下馬橋は唐突な印象を受ける.

諏訪大社下社では,「遷座祭」という神事があり,二月一日に秋宮から春宮に,八月一日に春宮から秋宮に神輿に乗って,御霊代が移動する.その際,下馬橋を通るのだが,神輿以外は通ってはいけないことになっている.

僕は宗教的なものが基本的には好きだ.
そこには,当事者にしかわからない「大切なもの」が存在するからだ.
文化という言葉は様々なものを指し,時にその意味が曖昧であるが,僕はショービジネスや観光産業から遠いところに,文化というものが存在するのだと思いたい.
東日本大震災のとき,参拝する人のいない神社で粛々と神事を行っていた神主の書いた文章を思い出す.
「参拝する方のいない境内は寂しいものですが,神事は神のためにするものであって,人のためにするものではありませんから…」
宗教が暴力的なものと結びつくことを恐れ,僕は無宗教という選択を取っているけれど,神がいないとは思っていない.
正確に言うなら,僕がいると言おうが,いないと言おうが,いるならば,いるのだろうと思っている.
諏訪をぶらぶら歩いていると「万冶の石仏」をディフォルメしたキャラクターをよく見かける.
春宮からすぐ行けるようなので,向かった.
砥川の中のその名も浮島社という小さな社の前を通る.水の音が耳に心地いい.
万治の石仏は,万治 3 (1660) 年に造られたとされているが,岡本太郎が絶賛したことにより,有名になったのだという.
大きな体に小さな頭部は,少しユーモラスな印象を受ける.
まわりながら願い事を願うと叶うと解説が解説が書いてあったが,今の僕に,誰かに願うほどの願い事などあるだろうか.
人事を尽くしてもいないのに.
「万念君プラモデル」「阿弥陀万里フィギュア」誕生!
という,カラフルな幟が翻っていた.
石仏を二方向にイメージしたら,こうなってしまったらしい.
….
….
さて,お茶を飲むのによい時間である.
諏訪大社と言えば,秋宮近くの「新鶴」の塩羊羹が有名らしい.
塩味の効いた羊羹は,ネットで調べてみると,好き嫌いがあるようで,一本買うには少し躊躇する.
ならば,近くのカフェなどで提供していないものかと思って調べたが,なかなか見つからない.
そもそも春宮近くには喫茶店らしきものはないので,秋宮近くまで移動したのだが,なかなか無い.
折角なので,秋宮の参道にある,「食彩館」に寄った.
食事処と土産物屋が入った,道の駅のような施設である.
「万念君プラモデル」と「阿弥陀万里フィギュア」を確認することもできた.
個人的には「諏訪御料人 諏訪姫」も気になり,長野の萌えキャラについて,つい調べてしまった.
そうこうするうち,塩羊羹を食べられるカフェを見つけた.
google map が何故かきちんとナビをしてくれないので,やたらと迷ってしまったが,何のことは無い,新鶴の斜め向かいであった.
「御宿 まるや」という雰囲気のある宿屋に「茶房 まどか」という大正ロマン風の喫茶店があるのだが,そこで塩羊羹と抹茶を頂くことができた.
塩羊羹は甘さが引き立ち,中々美味しい.

連れて行ったパティシエの友人と,菓子屋をはしごした.
一軒目は,諏訪南IC 近く,原村にあるドイツ菓子の店,エルフェン.
森の中にある,と書いてあるのだが,実際,非常に行き辛いロケーションであった.
娘さんが菓子を作っていると,売り子の女性が教えてくれた.店を兼ねたログハウスは,夫の手によるものだという.
「窓を拭くため」に外せる階段の桟など,見るのも楽しい.
二件目は諏訪湖近くにある,NOUVEL梅林堂諏訪店で,「くるみやまびこ」を購入.生菓子も中々美味しそうだったが,さすがに食べきれないと思われたので,断念.
昼は同じく諏訪湖近くの蕎麦屋「八洲」で頂いた.天皇・皇后両陛下の御行幸の際に蕎麦を献上したという,由緒正しい店なのである.歴史のありそうな店の入口をくぐると,手前に囲炉裏席,奥に座敷がある.鹿と猪の剥製が雰囲気を盛り上げる.予約をすれば会食なども受け付けているそうだ.
置いてあったチラシで「高島飯 (たかしまはん)」なるものを知った.
諏訪圏青年会議所が,諏訪市四賀桑原にある仏法紹隆寺(高島藩祈願寺)に残されていた古文書を読み解き,かつて高島藩主が花見の際に食していたた料理を再現したものだという.2013年に作られたものだというので,知らないのも道理である.
諏訪圏青年会議所の HP で,22品目+追加項目に渡るレシピの載った PDF が見られる.
高島飯を食べられる店はいくつかあるが,各店舗とも,通常は一種類のみ提供している.
八洲では蕎麦切り入り冷汁がこれにあたるが,ざるそば,ワカサギの天ぷらに川エビの唐揚まで頂いた後だったので,遠慮しておいた.
折角諏訪まで来たので,諏訪大社を詣でることにした.
本宮と前宮のある上社,秋宮と春宮のある下社の二社四宮を有し,日本最古の神社ともいわれる.寅年と申年の6年ごとに行われる御柱祭で有名である.2010 年に行われたのでは,次は 2016 年に行われる.
諏訪大社の主神は建御名方神 (タケミナカタ)と八坂刀売神 (ヤサカトメ)という夫婦であるが,喧嘩をして怒って下社に行ってしまった妻に会うため,建御名方神が上社から湖を渡るという伝説がある.冬に凍った諏訪湖に亀裂が走る「御神渡り」は,ずいぶん子供の頃に見た気がする.
諏訪湖に向こう岸があるということすら想像できなかったときの話だ.
今回は時間的に諏訪湖南岸の上社は諦め,北岸の下社のみ行くことにした.
まず秋宮を訪れた.手水舎には,龍の口から温泉が流れる御神湯がある.
境内の社殿は4棟が国の重要文化財に指定されているのだが,思ったよりもこじんまりとした印象を受ける.
神社の雰囲気を司る森が小さいせいだろうか.昔は,諏訪湖を含むこのあたり一帯が神社の一部だったのだろうが,今は普通の街並みに分断されてしまっているのである.
境内に切れ込みの入った実用的な材木が祀られているのが目についた.かつて秋宮・春宮間で建築の技が競われた名残だろうか.
秋宮から春宮まで,1.2 km 程度,歩けないほどではないが,車で移動.
春宮も秋宮と似ており,幣殿 (祭儀を行い幣帛を奉る社殿) と拝殿 (礼拝用の建物) が繋がった二重楼門造りの幣拝殿がある.
諏訪大社は本殿を持たないことも特徴で,秋宮では櫟の神木を,春宮では杉の神木を拝するそうだ.
境内の社殿は4棟が国の重要文化財に指定されているのだが,思ったよりもこじんまりとした印象を受ける.
神社の雰囲気を司る森が小さいせいだろうか.昔は,諏訪湖を含むこのあたり一帯が神社の一部だったのだろうが,今は普通の街並みに分断されてしまっているのである.
境内に切れ込みの入った実用的な材木が祀られているのが目についた.かつて秋宮・春宮間で建築の技が競われた名残だろうか.
秋宮から春宮まで,1.2 km 程度,歩けないほどではないが,車で移動.
春宮も秋宮と似ており,幣殿 (祭儀を行い幣帛を奉る社殿) と拝殿 (礼拝用の建物) が繋がった二重楼門造りの幣拝殿がある.
諏訪大社は本殿を持たないことも特徴で,秋宮では櫟の神木を,春宮では杉の神木を拝するそうだ.
春宮の近くには,下馬橋という太鼓橋が,道路の真ん中に残されている.室町時代に造られた,下社最古の建造物.身分に関わらず,馬から下りて渡らなければならないという.
秋宮の周囲は少し古い建物があり,かつて中山道・甲州街道の宿場町として栄えた下諏訪宿の雰囲気が感じられるのだが,春宮周囲は戦後に建てられたと思しき普通の住宅街であり,その中にぽつんと残された下馬橋は唐突な印象を受ける.
諏訪大社下社では,「遷座祭」という神事があり,二月一日に秋宮から春宮に,八月一日に春宮から秋宮に神輿に乗って,御霊代が移動する.その際,下馬橋を通るのだが,神輿以外は通ってはいけないことになっている.
僕は宗教的なものが基本的には好きだ.
そこには,当事者にしかわからない「大切なもの」が存在するからだ.
文化という言葉は様々なものを指し,時にその意味が曖昧であるが,僕はショービジネスや観光産業から遠いところに,文化というものが存在するのだと思いたい.
東日本大震災のとき,参拝する人のいない神社で粛々と神事を行っていた神主の書いた文章を思い出す.
「参拝する方のいない境内は寂しいものですが,神事は神のためにするものであって,人のためにするものではありませんから…」
宗教が暴力的なものと結びつくことを恐れ,僕は無宗教という選択を取っているけれど,神がいないとは思っていない.
正確に言うなら,僕がいると言おうが,いないと言おうが,いるならば,いるのだろうと思っている.
諏訪をぶらぶら歩いていると「万冶の石仏」をディフォルメしたキャラクターをよく見かける.
春宮からすぐ行けるようなので,向かった.
砥川の中のその名も浮島社という小さな社の前を通る.水の音が耳に心地いい.
万治の石仏は,万治 3 (1660) 年に造られたとされているが,岡本太郎が絶賛したことにより,有名になったのだという.
大きな体に小さな頭部は,少しユーモラスな印象を受ける.
まわりながら願い事を願うと叶うと解説が解説が書いてあったが,今の僕に,誰かに願うほどの願い事などあるだろうか.
人事を尽くしてもいないのに.
「万念君プラモデル」「阿弥陀万里フィギュア」誕生!
という,カラフルな幟が翻っていた.
石仏を二方向にイメージしたら,こうなってしまったらしい.
….
….
さて,お茶を飲むのによい時間である.
諏訪大社と言えば,秋宮近くの「新鶴」の塩羊羹が有名らしい.
塩味の効いた羊羹は,ネットで調べてみると,好き嫌いがあるようで,一本買うには少し躊躇する.
ならば,近くのカフェなどで提供していないものかと思って調べたが,なかなか見つからない.
そもそも春宮近くには喫茶店らしきものはないので,秋宮近くまで移動したのだが,なかなか無い.
折角なので,秋宮の参道にある,「食彩館」に寄った.
食事処と土産物屋が入った,道の駅のような施設である.
「万念君プラモデル」と「阿弥陀万里フィギュア」を確認することもできた.
個人的には「諏訪御料人 諏訪姫」も気になり,長野の萌えキャラについて,つい調べてしまった.
そうこうするうち,塩羊羹を食べられるカフェを見つけた.
google map が何故かきちんとナビをしてくれないので,やたらと迷ってしまったが,何のことは無い,新鶴の斜め向かいであった.
「御宿 まるや」という雰囲気のある宿屋に「茶房 まどか」という大正ロマン風の喫茶店があるのだが,そこで塩羊羹と抹茶を頂くことができた.
塩羊羹は甘さが引き立ち,中々美味しい.
迫りくる夕刻の中,東京へ.
友人宅を考慮し,森下は深川飯が有名な「みや古」へ.
…今週も楽しませて頂きました.
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