20131222 消えた村に思いを馳せる



朝ごはんも蕪の漬物や山菜など,地元の食べ物を頂き,宿を後にした.



昨晩降った雪は,夜には見えていた道路を白く染め,あたり一帯に厚ぼったい化粧を施していた.



「わだや」は村の北端に位置するため,近くにある展望台に登った.城山天守閣なる食事処の土地が無料開放されており,村を一望できる.



遠くの山の山頂近くは,落葉した木の枝が仄赤く,裾野近くは針葉樹の深い緑で彩られているが,一面の白を黒い三角に切り取る合掌造り.
民宿の親父は,村の中で家の外観に及ぶ改装をする際は,窓一枚といえど許可がいるのだと言っていた.



荻町集落の152戸に対して,合掌造り家屋は59棟あるという.美しく,木と紙で出来た日本を象徴する建築物.しかし家という構造物ではなく,文化,すなわちヒトの息づかいの籠った塊として残すことが困難であることは,能天気な観光客でも多少は想像がつく.



天守閣の裏手で,どぶろくと石割豆腐を頂いた.
通常の豆腐より水分が少なく,保存が効く堅豆腐は,昔の豆腐の作り方に近く,今でも白川郷などの豪雪地で食べられているそうだ.
白川村役場のHP を見ると,荻町「どっこいしょ」の「石割りとうふ」のほか,保木脇の深山豆腐店の「石豆富」,鳩谷の宮部豆腐店の「石とうふ」があるそうだ.



バスで村の中央まで行き「野外博物館 合掌造り民家園」へ向かった.
江戸時代中後期以降の建造物 25棟の中で,9棟が岐阜県重要文化財指定,その全てが合掌造りである.逆に少なくとも 7棟は博物館のために新しく作られたもののようだ.
博物館とはいえ,雪を掻き分け,家々を巡るのは,あたかも人のいなくなった村を訪ねているような気分になる.住む人のいない家は,呼吸を止めた生物のようなものだ.

合掌造りの大きな特徴は,釘や鎹などの金属を一切使わず,楔のほか,ネソ (マンサクという植物の若木) と藁縄で組み立てられている.



一つの家で,失われた集落の展示をしていた.

4 棟の合掌造り建築は加須良 (かずら) という集落から民家園に移転されたものである.
豪雪期には陸の孤島となる飛騨加須良は,越中桂という県境向こうの集落と助け合って生きており「ふたつのかつら」と呼ばれていたという.
しかし過疎と豪雪により,1967 (昭和42) 年に加須良の人々は集団離村した.
加須良が無くなり,村にとどまることが困難となった桂からも,1970 (昭和45) 年に人が消えた.1993年に境川ダムが建設され,今では桂は湖底に沈んでいる.
故郷を持たない僕が,故郷を棄てることの意味を分かった気になるのは傲慢だと思う.しかしそれでも,展示を眺めるうち切ない気分になると共に,「文化」を残すことの難しさを感じずにはいられない.



民家園の次は,昨日の宿で見せられた五階建ての「長瀬家」を訪れた.今でも一部で家族が生活している,生きた家である.
合掌造りは見た目通り,屋根が大きいがその大部分は養蚕の場であり,生活の場ではない.だからこそ,合成繊維が台頭して絹の需要が減ると,家の維持が困難になってしまう.
実際,家々を見学していると,上階の寒さが身に堪える.大きな吹き抜けになった空間は,暖めることが難しいのだ.それは養蚕産業が立ち行かなくなったあと,活用しづらい場であることを意味する.



現在見学出来るような家は,先祖代々の食器なども展示できる,本来は村の名家である.
荻町に合掌造りが多く残っている背景には,元々大きな集落であったため,ダムの候補とならず,小さな集落のように,国から補償を貰って村を去るという選択が無かったからだ,というネット上の書き込みを見ると真偽を疑うけれども,事実かも知れない.
先の屋根葺きのNHKスペシャルでも取り上げられていたが,そうではない家は,維持が困難となり,取り壊さざるを得ない.



自宅に観光客を受け入れ,家を維持する.それは,プライバシーを損なう可能性を天秤の向こう側に乗せている.

何を大切に思い,何を残すか.

世界遺産であり,日本の大事な文化であるが,住んでいる人の幸福なくして文化とは言えない.


旅の楽しみは,様々な文化の違いを味わうことだと思う.また同時に,様々に違う文化の中で,普遍的なヒトという生き物の本質を知ることであるかも知れない.

それはあなたと僕が,同じヒトでありながら,違う人であることに似ている.



寺のような合掌造りの建物の中で,荻町村を紹介する VTR が流されていた.

本日の宿に移動するため,バス停に向かい,バス停近くの「いろり」なる飯屋で「漬物ステーキ」を頂いた.


飛騨地方では,漬物は冬の大事な野菜であるが,凍ってしまったものを溶かすために朴葉の上で焼いたのが始まりだという.
本日は赤蕪本体と,赤蕪の葉,大根の三種の漬物を焼いた.そこに溶き卵を入れて更に温めて出来上がり.何故漬物炒めではなくステーキなのか疑問が残るが,予想に反してなかなか美味しい.



バスに乗り約一時間,平瀬温泉に着いた.白川郷では宿が取れなかったのだ.本日の宿「山水」は,まごうことなき民宿であるが,風呂は温泉で割と広い.


食事は飛騨牛や栃餅など.どぶろくを頂いたので「白川郷の…?」と伺うと「いえ,これは土地のものです」と誇りを感じさせる返答.朝頂いたものより,円やかな味わい.ご飯に味噌汁ではなく,蕎麦を合わせるのも風習のようだ.



温泉街と呼ぶには気が引けるような,これといったもののない町なので,宿でのんびりすることにした.



置いてあった「白川郷のむかし話」が意外と面白い.地元の小学校と中学校で,各家に伝わる話を聞き取りさせたものをまとめたもので,雲が去るほどの隆盛を誇った帰雲城が地震で倒壊した話や,前述の「ふたつのかつら」の話など,旅の趣きを深くしてくれることと思う.
一部はネットでも読める.

雪が静かにしんしんと降る.

にほんブログ村: クリックお願いします!
にほんブログ村 旅行ブログへ

0 件のコメント

Random Posts

3/random/post-list