20131223 雪に埋もれた村で何を祈るだろう

朝食に葱味噌の朴葉焼きなど頂き,宿を後にした.



昨日の昔話に出てきた常得寺が近くにあるようだったので,周囲をうろついてみたが,見つからずタイムオーバー.バス停に貼ってあった地図でその場所を知り,少々悔しい思いをする.



途中通った平瀬八幡神社もまた,どぶろく祭りを行う神社の一つである.



バスに乗り,再び荻町村に向かった.


荻町最大の合掌造り住宅に住む「和田家」は,名主や番所役人を務めるとともに,村で唯一,塩硝取引の資格を持っていたという.



火薬の原料となる硝石 (硝酸カリウム) を,この地域では塩硝と呼び,土,草,蚕の糞と人の尿を,床下で発酵させ,生産していたという.和田家は各家で作られた塩硝を集めて,取引をしていた.



昨日行きそびれた,真宗大谷派の明善寺を訪れた.
周囲の寺同様,防水シートで覆われ,本堂を拝むこともできない.



明善寺の庫裏は五層で,上階は江戸時代の農民の生活に関する郷土館となっている.農具の細かい説明などもあり面白い.



外から見ることが出来なかった本堂は,庫裏から入ることができるが,浜田泰介による障壁画が見事である.1748 (延享 5) 年創立.

ところで,囲炉裏の上に吊られている火棚を白川郷では火天 (ひあま) と呼ぶ.熱を分散させ,部屋の温度を適切に保つ,先人の知恵である.

火棚には様々な種類があるが,白川郷では,茅葺の屋根に火が及ばないよう,格子状ではなく,板張りになっている.囲炉裏の火は,合掌造りの家を燻し,耐久性を高めるが,同時に天敵でもあるのだ.

白川郷は浄土真宗の地としても有名であり,見学した住宅の仏間も豪華なものであった.
8世紀ごろには白山信仰,つまり山岳を崇めており,本来は天台宗の強い地域であったそうであるが,13世紀半ばころから浄土真宗を篤く信仰するようになったという.白川郷に浄土真宗を最初に広めたのは,嘉念坊善俊上人という,親鸞聖人に直接話を聞いた僧だという.

雪に埋もれる村で生きるためには信仰が必要なのかもしれない.

民家園の近くにある,食事喫茶「今昔」で,飛騨牛の朴葉焼き定食を頂いた.観光地価格は,むしろ妥当か.



合掌造りではないが伝統的建造物の「奥左ヱ門」.明治から昭和にかけての和風建築.ガラスの窓が色っぽい.



バスの時間が迫ってきた.

高山で少し時間があったので,吉島家住宅を眺めに行った.明治 40 年に造られた,国指定重要文化財.アメリカの建築家,チャールズ・ムーアが来日した際,京都の西芳寺 (苔寺) の庭園とともに,この吉島家を絶賛したという.横にある日下部家が男性的と言われるのに対して,繊細で女性的な美しさを持つという吉島家.
次回訪れた時は,中を見る時間を取りたい.



最後,高山駅で「飛騨牛しぐれ寿司」を買った.バスの中で頂いたこの駅弁が,今回の旅で食べた飛騨牛の中で一番おいしかったような気がする.

肉は卓上の固定燃料で調理するべきものではないと思う.

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