20220510 モロッコの王様は温泉がお好き
今朝も軽く、オムレツとヴァラミナナナ(おかゆ)と果物、ヨーグルト。
本日は人に会うため、アンジャノマネラチャという、田舎の村に行くため、朝 7:00 に出発。
朝が弱いので、目がうつろになりつつ、同僚2人と通訳のルヴァとアンタナナリボを発った。
結構早いのに、通勤ラッシュなのだろうか、街を出るまでに意外と時間が経ってしまった。
そもそも、マダガスカルには、働いている信号というものが一つも存在しないらしい。その代わりに大きい交差点はラウンドアバウト(円状の道)になっている。
「交通警察の采配が悪いから、僕らの道が全然進まないね」
ルヴァが、ぼそっと言った。
街を出るあたりには小さな市が立っていて活気付いている。
ここで、朝食を買って仕事にでも行くのだろうか。
変わりゆく車窓を眺めているうち、うとうとしてきたので、仕事をしてみるが、道が悪くて揺れが激しいので、あっという間に乗り物酔いになる。
と、車が停まる。何かと思ったら、同僚がラフィア(繊維の丈夫な植物。カゴなどを作る)の露店に興味を持ったので、運転手が気を利かせて小休止にしてくれたのだ。
カゴやオーナメント、鍋敷きなどを売っているのは、12歳ほどの少女だ。学校に行っていないのかな、と思ったけれど、マダガスカルでは 10 歳までしか義務教育ではないらしい。
6~10歳が小学校(第1~5学年)、11~14歳が前期中等教育(第6~9学年)、15~17歳が後期中等教育(第10~12学年)。以降が高等教育の大学。公立なら大学も無料だけれど、倍率はとても高いようだ。
基本的にフランスの教育制度と合わせているため、フランスの夏に当たる6~8月が冬休みで一番長い。11~3月が雨季で、学校に行けないことが多いというので、そこで休みにすればいいのに、とは思う。
一つの村に一つの教会があるのがヨーロッパ風だと思った。
マダガスカルは伝統宗教を信じている人が半数以上で、教会のある村の中にも、伝統宗教の信者は多数いる。
アンバトゥーランピという村には、たくさんのアルミ製品が並んでいた。
この辺りはアルミの原料であるボーキサイトがたくさん取れるのだ。
アンチラベを県都とするヴァキナンカラチャ県は、は農業が盛んな地域で、野菜の青空市があったり、棚田があったり、のんびりした、いい雰囲気のエリアである。
そうこうするうち、アンチラベが近づいてきた。
アンチラベは「癒す水」という意味で、温泉があり、特に心臓に効くと言われている。
フランス風の駅舎や、大聖堂、火山湖、ビールなどが有名。
火山湖は道が悪くて行けなかったが、ルヴァがティティーバ湖の伝説を教えてくれた。
ラビニユンビという男と、ラフラハンタという女が愛し合っていたが、男の家が裕福で、貧しい女との結婚を家族が許さなかった。そこで二人は心中するためにお互いを紐で結んで湖に飛び込んだ。ロミオといい、ジュリエットといい、若い者はすぐ心中を考えていかん。
すると、湖のほとりに、人が抱き合っているような二本の木が生え、その木を切ると血が出たという。やがてその木は一本の木となった。
神聖な湖と見なされたので、泳ぐ前には豚を触ってはいけない、というのが面白い。
昼は Green Park Hotel というところで、マラガシーの鴨と豚を頂いた。
通されたテラス席は気持ちがいい。
豚はとろとろチャーシューのようで、鴨ももっちりと甘い脂がのっている。それが生姜が効いたトマトで煮込まれて、ご飯と大変あう。
総じて、マダガスカルの肉は旨い。特に脂にうまみが凝縮されているのだけれど、あれは野で飼う飼育方法によるものだろうか。
水は Rano Visy 3000 アリアリ。ここらの天然水。
Green Park Hotel レストラン:★★★★☆(正直、マダガスカル料理でハズすこと、滅多にないんだけどね。)
食後、運転手が工芸品を見るかというので、行ってみた。
空き缶で作った自転車の模型やら、刺繍した布など。バオバブの樹を彫刻したパリサンダーという樹は、50 年保つ家具ができるそうだ。
アンチラベの町は小さく、どこに行くにも歩いて行ける程度だ。
今は電車は走っていないが、駅からは大きい通りが伸びていて、町の中心を形作っている。
駅前には、プスプス(人力車)やトゥクトゥクに交じって、遊園地にあるような小さい列車や、ゴーカート、馬が並んでいる。観光地なんだなぁ。
マダガスカルの電車は、大分廃線となっているため、今は限られた駅しか使われていない。
アンタナナリボ駅:現在は基本的に貨物のみ。観光で客車が運行している。
トアマシナ駅:アンタナナリボへ燃料など、海からの商品を運輸。
フィアナランツァ:唯一の客車と貨物が運航している駅。同じ地域の中でのみ運行している。
ノートルダム大聖堂は、本日は入れなかったが、中はパリのノートルダム寺院と似ているという。植民地後に作られたゴシック様式。
ホテル・テルムはモロッコのモハメド 5 世が 1956 年に家族と亡命した際滞在したホテル。一見、フレンチコロニアルスタイルの瀟洒な建物なのだけれど、内部は薄暗く、埃の被った土産物が昭和の香りを醸す。マダガスカルの昭和っていつだか知らんけど。
その後、Star のビール醸造所へ行ってみた。スターは、マダガスカルの「取り敢えず」ビール、THB(テー・アッシュ・ベー。Three Horses' Beer という英語の名前のくせして、なぜかフランス語読みで呼ばれる)を作っているメーカー。が、前のグループが今入ったばっかりだというので、中に行けるのは 30 分後だと言われて、諦めた。
ホテルは Plumeria.入るといきなりガラス張りの暖炉があって、オシャレ。
夜は各自と言うことになり、取り敢えず近くにあるスーパー、カルフールに行ってみた。
購入したのは、ラム、ビスケット、カップラーメン、ジュース。全てマダガスカル産。ビスケットはフランス産の 1/5 くらいの価格でしみじみした。
でも結局、疲れていたのか、ジュースだけ飲んで、何も食べずに寝てしまった。何にもしてないのになぁ~~。
0 件のコメント