20220507 マダガスカルとお近づきになる日

【アンタナナリボ@マダガスカル】

さて、待ちに待った週末。

疲れていたので、朝食は抜いてぎりぎりまで寝て、マダガスカルを知る旅に出る。


今回は、通訳のルヴァ Lova がツアーガイドもしているというので、ガイドを頼んだ。彼は色々なことを知っていて思慮深く、自分の考えを言ってくれるので、話していて面白い。英語も僕が戸惑っていると、きちんと言い換えてくれる。

「君の英語は分かりやすくて助かるよ。ずっと通訳をしているの?」

「いや、基本的に僕はジャーナリストなんだ。南アフリカの新聞の特派員をしている。ラジオの番組も持っているよ」

「へぇ、すごいな。通訳の仕事は、コロナで減ったろうから、他の仕事がある方がいいね」

「そうだね。でも、僕はパブリックな通訳もしているから、それなりに通訳の仕事もあるよ」

政治から食生活まで、様々な話をした。父親がプロテスタントの牧師だそうで、宗教的なことも語れる。


ちなみに、Lova、というのは、継承という意味を持つそうだ。マダガスカルの苗字は一般的に長くて覚えづらいので、短い名前は助かる(と思ったが、後で知ったところによると、めちゃくちゃ長い名前の一部をあだ名にしているだけだった)。


そもそも、親と子供が同じ苗字をもつ習慣はフランスから輸入されたもので、マダガスカルでは、個人の名前と、出自を示す名前(例えば、誰それの息子、とか、晴れた日に生まれた、とか)を併用するのが一般的だったらしい。更に公称があったり、非常に分かりづらい。

ついでに言うと、地名も長い。

さて、本日のメインは、アンブヒマンガ(青い丘の意)。

マダガスカル全土を最初に統治した(しようとした)一族の城がある、ユネスコの世界遺産。


アンブヒマンガへは、町の外れからひたすら水田の中を北へ向かっていく。時々牛の行き交うのどかな風景に、穏やかな気持ちになっていく。

アンブヒマンガへの入場料は 1 人 1000 アリアリ。

ほか、ゲートで 1000 アリアリ払っていた。

ルヴァは車を誘導してもらった程度でも、しょっちゅうチップを払う。大体 500 - 2000 アリアリ(約 15 - 70 円)。金額はサービスの内容というより、手持ちの金で決まっている模様。


「あの程度で払わなきゃいけないの?」

「払わなきゃいけない訳じゃないけど、払っておくと、次に来た時に、僕のお客さんに悪さをしないから」

チップを払う習慣のない日本人としては、なるほどなぁ、と思う。


で、アンブヒマンガに侵入!

ここではルヴァからマダガスカルの歴史を教わった。


マダガスカルの最初の王は、アンヂアナンプイニメリナ(名前長すぎるので、以下、「初代王」)と言われていて、フランスの植民地になるまでに彼を含む 3 人の王(初代王 + ラダマ 1 ~ 2 世)と、4 人の女王(ラスヘリナ、ラナヴェルナ 1 ~ 3 世)がいた。王族はいずれも、王の息子だったり、王の妃であったり、親族。


初代王以前は、アンタナナリヴォを中心としたエリア(メリナ王国)は、アンタナナリヴォ、アンブヒマンガ、南アンタナナリヴォ、西アンタナナリヴォの四つに分かれていた。その中には 12 の丘があり、12 の王国があった。

なんか、ファンタジー小説みたいだなぁ。いや、ファンタジー小説が、現実の真似をしているのか。


そこで初代王は、12の王国の王族と婚姻関係を結ぶことにより、メリナ王国を統一した。戦闘ではなかったところが、賢明なのだろう。

その中で、アンブヒマンガは精神的な中心となり、実際の首都はアンタナナリヴォに移った。


「えっ、ちょっと待って。初代王は、12人の奥さんがいたってこと?」

「うん。キリスト教が入る前だから、特に問題なかったんだよ」

4人の妻がいるムスリムの友人が、各妻を平等に扱わなければ大変なことになると言っていたけれど、12人も妻がいたらどうなるのか。楽しいような、恐ろしいような。


アンブヒマンガの要塞は、初代王より前に築かれ、その時点で 7 つの門があった。初代王が更に 7 つ作ったため、全部で 14 の門があったことになる。

写真はメインゲートで、城壁に開いた門は、大きな丸い石で閉じていた。

初代王は周囲を濠で囲むことにより、要塞をさらに強固なものとした。

初代王の「マダガスカル島全土を自分のものとしたい」という願いを継いで、彼の息子である二代目王ラダマ1世は更に領土を広げた。


(初代王が全土をまとめようとしたことから、彼が初代王と呼ばれるようになったらしいけれど、それは、メリナ王国を支援していたイギリスの意図があったとか、南部を支持していたフランスとの争いがあったとか、なんか色々あるけど、割愛)


そんな話をしながら、城を登っていくと、一人の老人が店を広げながら、楽器を弾いている。竹の周りに弦を張ったそれは、ヴァリ(ヴァリハ)といい、ポロンポロンとつま弾く音が、なんとも心地いい。

階段を登り終わると、フィダシアナ(キャンプサイトの意)と呼ばれる広場に出る。舞台のようなものがあり、ここで王が演説をしたり、戴冠式に使ったりしたという。舞台の後ろや手前にあるイチジクの樹は、高貴さを象徴している。

広場の端には杭代わりの石があり、式典の際には、ここでこぶ牛を殺し、その血を広場の真ん中にある心臓型の岩の上に流したそうだ。


そういえば、マダガスカル南部では、誰か亡くなるとこぶ牛を殺して、周りに振るまったという。故人が裕福であると、その頭数が増え、それが弔いになったとか、かんとか。かくもこぶ牛は、マダガスカル文化に浸透しているのだ。


輿(パリンキン)が置いてあるので「日本にも同じようなものがあるよ。偉い人は歩くのが嫌いなんだねぇ。……僕も嫌いだけど」とコメントした。

更に階段を登ったところに、物見やぐらが建っている。領土を見張ることもできるし、逆にここから笛のような楽器を鳴らして人を集めたりしたという。


物見やぐらの先には、犠牲になるこぶ牛をつないでおく小さなスペースがある。


「わっ」


中から10歳くらいの子供たちが大量に飛び出してきた。広場にも、その先にも、たくさんの子供がいる。どうも社会科見学のようだ。突っつきあってふざけている身には、自分が国を構成しているという意識はないだろうな、とほほえましくなる。

置いてある大砲には、Jean Laborde から贈られたものだと説明が書いてある。

三番目の統治者である女王ラナヴェルナ 1 世はヨーロッパ文化を弾圧したが、Laborde は宮廷に残ることを許された数少ないフランス人だった。


更に上ると、いくつかの建物が建っている。

一番手前の、焦げ茶色の木で出来た建物が、初代王が滞在した場所である。

広さは 50 平米弱、高さは二階建て程度で吹き抜け。木に卵の黄身を塗ることで丈夫にしてあるという(むしろ腐っちゃいそうだけど、丈夫になるらしい。現存するものはレプリカではなく、オリジナル)。

内部は撮影禁止だけど、かなり面白い。

入り口をくぐると、左手の柱に木造の足場釘(電信柱に生えているアレ)があるのが見える。訪問者があると、王は天井近くまでこれを登るそうだ。すると、妃が訪問者を迎え、要件を取り次ぐ。王はそれを聞き、訪問者と会うならば石を落とす。コミカルだなぁ。

そして、降りてきた王と訪問者が会う。建物の地面に置かれている足台のようなものは、ゲームの盤。チェスのようなゲームをしてたらしい。

あとは、高いところに王のベッド、地面に妃のベッドがあるだけの、非常にシンプルな建物である。今は壁に、鍋や食器、武器などが飾ってある。


ちなみに、建物から出るときは、王に背中を向けると不敬なので、後ろずさりに出る。


横に建っている建物は、ラナヴェルナ 1 世以降のもので、イギリスのビクトリア女王からの贈り物であるキャビネットや鏡、テーブルが置かれ、豪華な壁紙の貼られた、欧風な部屋である。

個人的には、ヨーロッパの文化が入ってくると、世界中同じように見えて、ちょっと鼻白むけど、まぁ、それはどうでもいい。


置いてある大きな鏡は真実の鏡と言われていて、偽りのない姿を映すという。


その横の建物には女王の寝室がある。ヨーロッパのアンティーク調のベッドはしゃれているが、部屋自体はかなり狭い。

そして、先ほどからセキュリティの人が、僕らを追いかけて見張っている。写真撮るのを警戒しているのかなぁ。


寝室の二階は、見晴らしのいい、サンルームのようになっている。ここは基本的に女王が使った。


メリナ王国では、首相が大きな力を持ち、彼は後半三人の女王と、順に結婚している。


サンルームのとなりの建物には、別の寝室がある。ここは三人目の女王であるラナヴァルナ2世が使った。彼女はプロテスタントで、国内にキリスト教を広めた。


ルヴァは寝室にある時計を指差して言った。「この時間は女王が亡くなった時間なんだ。女王が亡くなると、その時間で時計を止める習慣があったらしいよ」


寝室を出ると、小屋のような墓がある。面白いのは、初代王以前のアンブヒマンガの王の墓もあることだ。初代王以降、一族で治世したならば、それ以前の王はないがしろにしそうなものなのに、そうしなかったのは何故なのだろう。

その隣には、米の倉庫がある。地面に穴が開いている形式で、穴の上に石を置いて蓋をされている。


更に行くと、プールがある。女王が水浴びをするときは、50 人の乙女が水を運んだとか。この城は、全体的に建物は小さく質素で、家来の控えの間もないのだけれど、プールだけは豪華なのが印象的だった。

女王は何を考えながら、水に浸かったのだろう。空は今日のように青かったろうか。

プールの横の樹の下には、供え物がしてある。ろうそくや蜂蜜、飴を供えることで先祖の供養をするのだという。ろうそくの跡はまだ新しかった。

「あれは何?」

道の途中に、赤い花が咲いている。

「あぁ、これはね……」ロヴァは葉っぱを一枚手折り、見せてくれた。白い樹液が出ている。「Madagascar Plant といって、ミルクのような樹液が出る」

更にしばらく行くと、高台に出た。アンバトミアテインドゥルといって、12 の丘を見渡せる。偉い人ってぇのは、本当に高い場所が好きで……。

自分の領土を眺める王は、満足感を持ってこの風景を見たのだろうか。それとも、島を統一する見果てぬ夢を追いかけたのだろうか。

僕はただ、優しく吹く風が気持ちいいなぁ、と思ってあたりを眺めた。

人の上に立って、支配するなんて、ご苦労なこった。


アンブヒマンガ:★★★★★(マダガスカルに来たら、ぜひ立ち寄ってほしい場所の一つ)


町へ帰りがてら、「Relais Du Rova」ホテルでランチを取った。

僕は Romazava Royale.スープ料理のロマザバには、この、ロマザバローヤルというやつがよくある。要するに、色々ミックスされたロマザバのことのようだ。今回はエビと鶏肉とこぶ牛。

マダガスカルのエビは、少し臭みがあって、僕はちょっと苦手なのだけれど、サカイ(唐辛子とニンニク、生姜、酢などを使った辛いソース)でアクセントを加えると、中々美味しくいただける。

飲み物はコロソロ Corossol という果物の濁った緑っぽいジュース。りんごと梨を混ぜたようなさわやかな味で、暑くけだるい午後に、大変よろしい。

Relais Du Rova:★★★★☆(マダガスカル料理が食べられるだけでポイント高いんだけど、食べたことのないものがあると更にアップ)


街に戻り、まず写真博物館 Museee De La Photographie De Madagascar に行った。マダガスカルの文化に関する写真や動画が見られる。ミニシアターは、ボタンを押すと好みの言語で上映することが出来て、面白い。写真は金鉱山に関するものがメイン。マダガスカルは金鉱山で賑わっていたのだ。どこで国のかじ取りを誤ってしまったんだろう。フランスのせい??

写真博物館:★★★☆☆(面白いんだけど、入館料 20000 アリアリとしては、やや物足りない)


その後、女王宮 Manjakamiadana に行ったのだけれど、中には入れず。現地事務所の人は、政治的な理由があるのだと言ってたが、詳細不明。

なお、マダガスカル人の友人ジャン=マルクは「イギリス人は Queen's Palace と言うけれど、僕たちは King's Palace と読んでいる。あれは女王じゃなくて、王のものだ」と言っていた。そのこだわりが、ちょっと面白かった。

女王宮の近くには見晴らしのいい展望台のようなところがある。


「車から降りてみたい?」ルヴァが聞くので「せっかくだし」と答えたら「写真を撮りたいなら、携帯を持って行っていいけど、それ以外の荷物は全て車の中に置いて行って。写真を撮るときは、僕が見張っている」と言われた。余りガラのいい場所ではないようだ。実際、車から降りると、物売りがすぐ寄ってきた。


でも、街を眺めるのはなかなか良かった。

ジャン=マルクは「僕たちは最貧国だから……」などと言うのだが、僕はアンタナナリボの街並みを嫌いではない。色が統一されているからだ。茶色と白でまとまった街は、極彩色の東京より、僕には好ましい。その街並みの中の貧困を良しとするわけではないけれど。

それから首相宮 Andafiavaratra Palace へ。女王宮が 1995 年に火事に遭ったため、その調度品の一部がここに展示されている。入場料は 20000 アリアリ。


分かりづらい英語を話す案内役が、熱心に説明をしてくれて、結構面白かった。

特に、ヨーロッパ文化が入る前の、椅子と足台などが興味深い。マダガスカルの、マダガスカルらしい部分を教えておくれ。

燭台には、Ramy というマダガスカル固有種の樹の樹液を、羊毛と混ぜて乗せて燃やし、ろうそく代わりにしたのだという。いいねぇ。

一方で、マダガスカル産の銀食器は、ヨーロッパ産のものに見劣りせず、高い技術を持っていたようだ。

メスのようなものがあったので「これは手術用?」と聞くと「手術というか、割礼用のナイフだね。今はこういう伝統的なものは使わず、西洋化されたリング状のものを使う」「へぇ(全然想像がつかない)。今は病院でやるの?」「いや、家でやる」

ジャン=マルクは、割礼は、神への感謝と、結婚への準備なのだと言っていた。想像はしてみたけれど、多分、感覚がずれているだろうなぁ。

ちなみにマダガスカルでは FGM(女児への割礼)は行われていないそうだ。


首相宮:★★★★★(僕はとても面白かったけれど、好みによりけり。まぁ、4.5 点寄りの 5.0 点)


見終わったのが大体 17:30。朝から車を出してもらって、ガイドもしてもらって、100 ドル(僕が提案した金額)は悪くないんじゃないかと思う(ランチは奢った)。

大変楽しかったので、興味のある諸氏は連絡されたし。


【Lova】通訳・ガイド・ジャーナリスト

raherilouva@gmail.com

ホテルでしばらく休んだのち、ルヴァに教えてもらった、ホテルのすぐ横にある La Plantation に夕食に出かけた。


「マダガスカル料理はどれですか?」

「鴨ですね」

「鴨ですか。って、鴨のコンフィじゃないですか。フレンチでしょ?」

「いえ、マラガシーです」


えー、と思ったけど、勧めてくるので、断るのもどうかと思い、注文。Cuisse de canard confit, riz et lentilles 34000 アリアリ。

これが、非常に美味しかった。パリッとした皮の下には、ふくよかな脂が蓄えられている。肉はマリネ してあるのだろう、少し甘みがあり、絶妙な塩加減。

……これ、照り焼きじゃないの??


甘辛い肉に、じゅわっと脂を合わせて、米をかきこむ。まずいわけがないよね!


「全て問題ないですか?」


先ほどとは別のウェイターが聞きにきた。


「大変美味しいです。ただ、これがマダガスカル料理なのか、分からなくて……」

「マダガスカル料理ですよ!」

「フレンチじゃなくて?」

「マダガスカルの鴨ですから」


うーん、分かったような、分からないような。美味しかったから、まぁいいか。


La Plantation:★★★★☆(謎は残るけれど、マダガスカル料理だっていうし、美味しかったから、アリ。むしろアリアリ)


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